八代将军吉宗 台版歌曲名女的唱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この項目では、テレビドラマについて説明しています。歴史上の人物については「」をご覧ください。
に、このページに関する議論があります。
議論の要約:Template:基礎情報 テレビ番組の出演者を記す基準は?
この記事はの編集方針を採用しています。編集される方はご一読下さい。
『八代将軍吉宗』(はちだいしょうぐんよしむね)は、からにNHKで放送された第34作目のである。
?と番組体裁の見直しで1年2作品(1作のみ半年間、他2作は9ヶ月ずつ)となっていた大河ドラマが、本作品より1月始まりの1年完結の形式に戻された(当初は1993年度は移行準備期間、本格的な半期ごとの放送は1994年度に予定されていたが、不評だったために度以前の仕組みに戻したものである)。
中期、?の三男として生まれ、第八代となってを行い、「幕府中興の祖」と呼ばれたの生涯を描く。五代将軍?の時代から吉宗の晩年までを扱った。脚本は1987年の大河ドラマ『』を手がけたジェームス三木で、二度目となる。『独眼竜政宗』では原作小説を元に書かれたが、本作はオリジナルとなる。
音楽は池辺晋一郎が全編を担当し、テーマ曲では『独眼竜政宗』の時と同様にを用いた。タイトルバックにはCG映像が使用され、屏風絵や見返り美人を動かす映像が展開された。本編放送尺数?出演者数の多少によって調節できるよう、尺数の異なるオリジナルバージョン(ロングバージョン)と短縮バージョンの2種類のテーマ曲が使用され、それに伴ってタイトルバックの映像も長尺と短尺の2種類が使用されている。さらに本作品は前に書の「八代将軍吉宗」の大きな文字が画面に出、オープニングの最初はサブタイトルで始まるという構成を採っている。
主演は、8回目の大河ドラマ出演となる西田敏行で、『』に続く主役。他の出演者では吉宗の長男で言語症がある九代将軍?を演じたの、涙を流したり涎を垂らしたりする迫真の演技が多くの反響を呼び、中村自身の知名度ばかりか、それまで徳川将軍の中では影が薄かった家重の知名度をも上げる結果となった。
時代背景が江戸中期という泰平の世であり、山場となる合戦などのスペクタクルシーンもなく、戦国や幕末と違ってドラマとしては政治劇が中心で劇的な展開を持ち込む事が難しかったにも関わらず、それを逆手にとって「将軍家のホームドラマ」という展開に仕立てあげ、ある時はコミカルに、ある時はシリアスに吉宗の生涯を描いた。前半は吉宗の青春と綱吉の元禄時代、中盤は吉宗の将軍職就任にまつわる熾烈な政治劇、後半は幕政改革に勤しむ吉宗の幕政と尾張藩主?との対決、そして個性の全く異なる三兄弟の父親としての吉宗の苦悩を描いている。当時で放送されていた『』との比較も話題になった。
前3作(『』『』『』)は大河ドラマにおいて未開拓の時代や地域を扱うことを試み視聴率は低迷していたが、本作品は江戸中期を扱っていながら高視聴率を記録した。平均視聴率は26.4%、最高視聴率は31.4%。
演じるをナレーションと史実を解説するキャラクターとしている試みが最大の特色で、家系図や享保の改革などについてパネルや表を使い、時には「パーティ」「ドラマ」といった現代語も交えてわかりやすく説明させている。同様の手法は2000年の『』でも用いられている。
近松は吉宗在世中の享保9年(1724年)に死去しており、以降は「幽霊」として登場。最終回では天国で吉宗と吉宗の父?に1995年当時までの日本の世相を教えた。
「さればでござる」のセリフが近松のキャッチフレーズだった。最終回から一週間後の12月17日には「さればでござる?全て見せます大河ドラマ」という特別番組が放送され、これまでの大河ドラマの歴史を振り返り、さらに翌年の大河ドラマ『秀吉』の主演?によるミニコントも放送された。番組のナビゲーターはタイトルからも分かるとおり、近松役の江守徹と、近松家の少女(お梶)役?が務めた。
主?の四男?源六(後の吉宗)はいたずら好きのわんぱくっ子として育ちながらも、その頑強さから父の期待を一心に集める。しかし母?お紋の出自は卑しく、長幼の序の慣例から将来は部屋住みの身分として一生を終えるものと決め込んでいた。
ところが長兄?が早々と死去し、後を追うように父?光貞、次兄?も死去。綱教にも頼職にも男子がなく、遂に吉宗は五代紀州藩主になるべくして収まるが、江戸では五代将軍綱吉、六代将軍、そして幼い七代将軍までもが次々と死去。
時代は吉宗を八代将軍に推し上げようとしていた。
(とくがわ よしむね)
(源六→新之助→松平頼方→徳川吉宗)
演:(幼少?少年期:→→)
江戸幕府八代将軍。鷹狩り等の武芸を好むが学問や和歌は苦手、声も体も大きい無骨な大丈夫。君主としての明確なビジョンを持ち、幕政改革に挑む。本作では、個性が全く異なる三兄弟の悩める父親としての姿も描かれる。
(とくがわ みつさだ)
第二代紀州藩主。吉宗の父。吉宗に武士としての誇りを徹底的に叩き込んだ。元気で活発な吉宗に大いに期待をかけた。老齢にもかかわらず、すぐ女性に手を出してしまう。吉宗の死後、天国で再会した際には己の治世を悔いる吉宗を、「卑怯な振る舞いがなかったならばそれでよい」と励ました。
(おもん)
(お紋→淨圓院)
光貞の側室で吉宗の母。極めて慎み深い、無欲な女性。百姓の娘を自称し、百姓の心を常に吉宗に説き、吉宗が米将軍と呼ばれるまでに農政に執着したきっかけを与えた。
(ふしみのみや てるこ)
(伏見宮照子→天真院)
光貞の正室。わんぱくな吉宗を温かく見守る。
(志保→真如院)
光貞の側室で頼職の生母。大柄で勝気な女性。お紋?吉宗母子と折り合いが悪く、光貞に何かと讒言しては彼によく怒られる。吉宗が藩主になってからも難題を言って吉宗を困らせるが、それは息子を亡くして寂しかったからだった。
(ちぐさ)
(千草→聞是院)
光貞の側室で綱姫の生母。若い美女で光貞に贔屓される。志保とは犬猿の仲。
(とくがわ つなのり)
吉宗の長兄で第三代紀州藩主。聡明で武芸にも秀で、将軍?綱吉からも一目置かれた人物。そのため綱吉の次の将軍の座を大いに期待されるも、志半ばでこの世を去る。他の女には目もくれず、妻の鶴姫を生涯愛し続けた。
(つるひめ)
将軍?綱吉の息女で綱教の正室。義弟の吉宗を可愛がり、吉宗と綱吉を引き合わせるきっかけを作った。存命する綱吉の唯一の子であるため、綱吉に溺愛されている。夫婦仲が良く、綱教の将軍就任を後押ししたが、流産の後、若くして死去。
(とくがわ よりもと)
(松平頼職→)
演:(幼少?少年期:→)
光貞の三男で第四代紀州藩主。父を非常に慕う孝行息子でありながら、家臣や女中を足蹴にする暗愚で偏屈な行動もみせる極端な性格の男。自分を立てようとしない吉宗を大いに嫌ったが、兄らしく振舞う一面もある。自分の侍女になるはずだった須磨を吉宗に奪われた際は、吉宗と大喧嘩を繰り広げる。水野重上の諫言も聞かず、危篤の父の看病に帰国する途中で急に容態が悪化、和歌山で変死。
(さかえひめ)
光貞の長女で上杉綱憲正室。吉宗が初めて江戸に行ったときに初対面したかなり歳の離れた姉。赤穂事件の時に夫と共に紀州藩に加勢を要請するが、断られてしまう。
育姫(のりひめ)
光貞の次女。吉宗の姉で幼い吉宗をよく可愛がった。に嫁ぐがまもなく死去。
(まつだいら よりずみ)
伊予主で光貞の弟。吉宗も慕う気さくでひょうきんな叔父。だが嫡男?頼雄を廃嫡にする厳格な一面も覗かせた。吉宗の紀州藩主就任?将軍職就任の際にはご意見番として藩内をまとめ上げ幕府に対峙するなど、気骨のある人物。
(とくがわ むねなお)
(松平頼致→徳川宗直)
演:(少年期:)
頼純の次男。吉宗の従兄弟。吉宗の将軍就任を機に紀州家を継ぐ。若いころは同じ部屋住み同士の身分という事で親しく、吉宗と放蕩に明け暮れた。紀州藩主となってからも遊び癖は収まらず、御三家当主であるにもかかわらず正室を娶らなかった。当初、吉宗が竹姫の降嫁先として考えたが、天英院?大典侍に年齢の差と遊び癖が問題とされあっさり一蹴される。の連中には疎まれていた様子。
(まつだいら よりかつ)
頼純の嫡男だが、吉宗を差し置いて紀州藩主の座に就こうと謀ったとの理由で廃嫡。後に「真の廃嫡の理由はだったため」とこじ付けられた。その後、吉宗によって匿われ、紀州藩江戸屋敷、和歌山城下、と転々とする。頼純は死の直前に「頼雄を紀州藩主にとの計略は家臣によるもので、頼雄自身は知らず無実だったが、逆上のあまり廃嫡に追いやってしまった」と吉宗に告白した。また隠れキリシタンとなったのも廃嫡後であり、廃嫡の理由とキリシタンは無関係であることも判明した。やがて宗直が放った刺客に殺される。頼雄の非業の最期は、吉宗が家重を後嗣に決定する理由となった。
(さなのみや まさこ)
伏見宮家から迎えられた吉宗の正室。無骨な吉宗とは不釣合いなほど、おしとやかで優しい女性。生きてきた世界や価値観がまるで違う吉宗に面食らうが、やがてその真っ直ぐな人柄に惹かれるようになる。しかし流産が元で若くして死去。その後、吉宗は生涯正室を娶らなかった。
吉宗の側室で家重の生母。紀州で吉宗に見初められた。元は頼職のお付になるはずだったが、吉宗が一目惚れして強引に自分の側室にしてしまった。慎み深く美しい女性。
吉宗の側室。淨圓院(お紋)の紹介で江戸入りした。若いころはその笑窪が吉宗のお好みだったが、年を重ねるにつれておっちょこちょいな性格が現れ出す。吉宗と最も永く連れ添った側室。
吉宗の側室で宗武の生母。加納久通から「胸と尻が格段に大きい」と言われる程丈夫な女性。吉宗の大奥改革に反感を持った大奥女中達からいじめに遭う。天英院に目を掛けられ、側室筆頭の存在になる。
(おうめ)
吉宗の側室で宗尹の生母。
(とくがわ いえしげ)
(長福丸→徳川家重)
演:(幼少?少年期:→→)
吉宗の長男。後の江戸幕府九代将軍。体が弱く、酒色に耽り、臆病者、狷介な性格の上、言語不明瞭なため次期将軍として各方面から憂慮されるが、根は心優しい。自分が将軍の器に相応しくない事を自覚しており、弟?宗武に引け目を感じたり、その複雑な心情を告白して吉宗を愕然とさせたこともあった。
(なみのみや ますこ)
家重の正室。京都から来た家の姫。家重の子を懐妊するが、流産が元で死去。
(おこう)
家重の側室で家治の生母。公家?出身。培子の御付女中だったが、培子の死がきっかけで家重の手付きとなる。姉さん女房である事に吉宗は難色を示すが、世子?家治を産み、側室として認められる。しかし後に、気まぐれな家重の命で隠居所の二の丸に別居させられる。
(おいつ)
家重の側室で重好の生母。父の出自が浪人であるため、側室に迎えることを吉宗から大反対される。しかし、重好を産み、側室として認められる。
(たやす むねたけ)
(小次郎→田安宗武)
演:(幼少?少年期:→→)
吉宗の次男。聡明で武芸?学問はもちろん、芸術にも秀でた非の打ち所のない人物だが、やや八方美人すぎる傾向もある。家重の対抗馬として諸方面から次期将軍と期待されるが、それが兄との不仲へつながり、家重によって一時蟄居させられる不遇な目に遭わされる。田安家の祖。
(ひとつばし むねただ)
(小五郎→一橋宗尹)
演:(幼少?少年期:→)
吉宗の三男。豪腕で無骨、率直な物言いが吉宗をして「最もわしに似ている」と言わしめた。兄?家重によって無理矢理に嫡男をに養子に出される。一橋家の祖で十一代将軍?の祖父に当たる。
(とくがわ いえはる)
(竹千代→徳川家治)
演:(幼少期:)
家重の長男。父と違い聡明で、祖父?吉宗の期待を一心に受ける最愛の孫。
(とくがわ しげよし)
(万次郎→徳川重好)
家重の次男。
(とくがわ つなよし)
江戸幕府五代将軍。三代将軍?家光の四男。四代将軍?家綱の末弟。母想い?娘想いの心優しき将軍。吉宗からは尊敬されており、また綱吉も吉宗を可愛がり、「そちのような息子が欲しかった」と告げて吉宗を感激させた。
(とくがわ いえのぶ)
(徳川綱豊→徳川家宣)
六代将軍。綱吉の甥。甲府藩主だったが、綱吉の嫡男?が急死し、吉宗の兄?綱教が没したため将軍後継者となった。学問を好み、諸事公家風のしきたりを重んじるため、武士としての態度を明確にする吉宗とは犬猿の仲。吉宗に陰で口調をものまねされ、さらに「イヤミな奴」と陰口まで叩かれる。
(とくがわ いえつぐ)
(鍋松→徳川家継)
七代将軍。家宣の長男。能が大好きで無邪気な少年。その何気ない一言に周囲の大人たちが思わず面食らう事も。
(けいしょういん)
綱吉の生母。綱吉に子が出来ないのを憂い、「生類憐みの令」を作らせた張本人。いくつになっても子離れできない母親。
(たかつかさ のぶこ)
綱吉の正室。おっとりとした性格であるが、綱吉の幕政に真っ向から異を唱えるなど気丈な面も持ち合わせる。綱吉後嗣の決定には冷静?公平な立場に立つ。
(うえもんのすけ)
綱吉時代に大奥上臈として絶大な権力を振るった。大奥の意志をまとめ上げ奔走する見識豊かな女性。綱吉の側室の一人。
(おでんのかた)
綱吉の側室。綱吉の唯一の子?鶴姫の生母として権勢を振るう。気が強く口が軽いため綱吉にしばしばたしなめられる。
(おおすけ)
綱吉の側室。京都から迎えられた。晩年の綱吉に姪(竹姫)を養女にしたいと願い出てかなえられる。
(しんすけ):
綱吉の側室。
(たけひめ)
演:(幼少期:)
綱吉の養女。婚約者に次々と死なれ、加賀藩や松平通春(後の宗春)にも縁談を断られてしまう不幸な宿命の女性。後に吉宗が正室に迎えようと想うほどの仲になるが、系図上大叔母にあたるため天英院に断念させられ、薩摩藩藩主?の正室となる。
(てんえいいん)
(近衛煕子→天英院)
家宣の正室。五摂家筆頭近衛家の姫として教養?見識共に非の打ちどころのない女性。後継者維持のため家宣に側室を勧めるも、側室同士の諍いに頭を悩ませている。家宣の死後もとして大奥に君臨し、睨みを利かせる。吉宗を立て、一歩引いた目でその幕政を見守る。八代将軍継承においては独自の構想を持って行動し、その真意が読めないことで周囲から恐れられる。九代将軍には暗愚な家重より夫?家宣に似ている宗武を密かに押し、親族の森姫を正室に迎えさせる。
(げっこういん)
(お喜世の方→月光院)
家宣の側室。七代家継の生母として権勢を振るった。美しい女性であるが、行動に軽率な面が見られ他の側室と勢力争いを起こす。家宣死後はその美貌で吉宗と懇ろな仲に陥る。天英院の遺言により宗武を九代将軍にしようとする。
(おすめ)
(お須免→蓮浄院)
綱吉の命により家宣側室となった公家?の姫。柳沢吉保の側室?正親町町子の従兄弟に当たるため推薦された。楚々とした性格で、月光院とは正反対のタイプ。
(えじま)
(おみよ→江島)
大奥御年寄。月光院の罪をかぶり、自らが下手人として名乗り出た。
瀬川(せがわ)
お紋の方付きだった紀州家の女中で、江戸への偵察役として久免と共に江戸城入り、大奥の上臈となる。幼少時の吉宗に廊下で鉢合わせになり光貞に出すお膳をすべてぶちまけたことがあり、上臈となってもかなりそそっかしい。
(かのう ひさみち)
吉宗の傅役?側近として生涯を吉宗に捧げた男。弱気になる吉宗を時に殴りつけたりもして、彼を厳格に育て上げた。家重の廃嫡論に真っ向から異を唱え、吉宗を翻意させる。
(ありま うじのり)
として吉宗に仕える。久通とはライバルで、何かと喧嘩し吉宗に怒られる。本音がすぐ顔と言葉に出るひょうきんな性格だが、お庭番を総括して、幕府の威光を保つため時に厳格な一面も覗かせる。
(みうら ためたか)
紀州家に長年使えた家老。吉宗の将軍就任の折も、あえて紀州を離れず、家老として生涯を全うした。
(みずの しげたか)
紀州家の。生真面目な性格だが、相当な笑い上戸でもあり、ひときわ大きい声で笑う。
(かのう まさなお)
久通の父。幼少時の吉宗を養父として育てた。吉宗元服時の烏帽子親にもなった。本作では後半、痴呆の症状を患い、成人した吉宗を源六と呼んで頬をつねり、その姿に吉宗が涙する場面がある。
お常(おつね)
加納政直側室。幼い吉宗の養母として吉宗を育てる。お紋を説得し、和歌山城にお紋を引き入れた。
土岐朝治(とき ともはる)
(豊島半之丞→土岐朝治)
紀州家の古家臣だが、吉宗の将軍就任に際し江戸詰めとなる。家重の養育係を拝命する。
小笠原胤次(おがさわら たねつぐ)
紀州家に長年仕え、吉宗の将軍就任に際し江戸詰めとなる。しかし環境の激変で精神を病み、まもなく隠居。
中条平助(なかじょう へいすけ)
千草の甥?吉宗近習番。なぜか劇中では彼女に「弟」と紹介されている。
握美久忠(あつみ ひさただ)/ 内藤忠元(ないとう ただもと)/ 三井高清(みつい たかきよ)
頼職の近習。頼職死去に際し無断で剃髪した咎で処罰されるが後に赦免。
(あつみ かつゆき)
西条藩家老。頼純の娘婿。頼雄廃嫡を諫め手討にされる。
(とくがわ むねはる)
(松平通春→徳川宗春)
第七代主。三代藩主?綱誠の十九男。吉宗の質素倹約制度に真っ向から異を唱え、奢侈贅沢を奨励した吉宗最大のライバル。しかし放蕩がたたって尾張藩の財政破綻を導いた責により蟄居謹慎を申し付けられる。
(とくがわ みつとも)
第二代尾張藩主。我が子?綱誠の将軍擁立を目指し光貞に対抗するが、早くに綱誠を亡くし、痴呆も進み、失意の中死去する。吉通?継友?宗春の祖父。
(ちよひめ)
(千代姫→霊仙院)
光友の正室で綱吉の異母姉でもある。気が強く夫を尻に敷いているため、綱吉も思わず光友をねぎらってしまう。甲高い声が特徴。
(とくがわ つななり)
光友の長男で第三代尾張藩主。綱教の将軍後継争いのライバルとして将来を期待されるが、草苺に食当たりし、志半ばで死去する。吉通?継友?宗春の父。
綱誠の側室で宗春の生母。宗春とは正反対の性格の、慎み深い女性。
(ほんじゅいん)
綱誠の側室で吉通の生母。若い家臣と逢瀬を重ねる稀代の悪女。尾張藩の藩政にいちいち口を挟み、家臣達から疎まれる。
(とくがわ よしみち)
演:(少年期:)
第四代尾張藩主。綱誠の九男。聡明な藩主だったが、将軍継承騒動で翻弄された上、母?本寿院にも振り回され、深酒がたたり、突如吐血して変死する。側近たちには厄介者扱いされていた模様。
(とくがわ ごろうた)
第五代尾張藩主。吉通の変死に伴い跡を継ぐが、夭折。
(とくがわ つぐとも)
第六代尾張藩主で綱誠の十一男。吉宗と将軍継嗣を争うが敗北。以後は逸る宗春を制しつつ、吉宗に従順な姿勢を見せる。病没する直前、宗春を養子に迎えた。
(とくがわ むねかつ)
宗春の従兄弟。宗春の蟄居謹慎をもって八代藩主に就任。
(なるせ まさちか)
尾張藩附家老。
(なるせ はやとのかみ)
演:(青年期:)
正親の子。宗春の忠実な附家老。吉宗に尾張藩乗っ取りの動きがあるのを知って懸命に奔走、ピンチを救う。
(たけのこし まさたけ)
演:(青年期:)
隼人正とともに宗春の附家老として従順に振舞う。
星野織部(ほしの おりべ)
早くから宗春に忠実に仕えてきた家臣。宗春を思う余り、竹腰、成瀬の附家老に口答えすることも。
石河章長(いしかわ あきなが)
尾張藩家老、竹腰正武の父。
春日野(かすがの)
演:(少女時代:)
吉原の路上で花売り行商をしていた身よりのない少女。松平通春(後の徳川宗春)が拾い、馴染みの女郎屋に預けて吉原一の花魁に成長させた。源氏名「小式部」を名乗っていたが、宗春のをもらい「春日野」と改名。後、宗春に身請けされて側室に。
(とくがわ みつくに)
第二代主。将軍にもずけずけと物を言う、江戸城きっての論客にして御意見番。その直言には綱吉も閉口してしまう。六代将軍に早くから綱豊(家宣)を推していた。
(とくがわ つなえだ)
光圀の甥で、養子となって水戸家を継ぐ。吉宗の将軍擁立に協力。
(とくがわ むねたか)
綱條の実父?の孫で主?の長男で、綱條の養子となって水戸家を継ぐ。老中?水野忠之の圧力に耐え切れず、江戸の藩邸で割腹自殺する。
(とくがわ むねもと)
演:(幼少期:)
第五代水戸藩主。
(つちや まさなお)
綱吉?吉宗時代初期の老中。紀州藩と昵懇で、吉宗の将軍就任をサポートする。
(くぜ しげゆき)
綱吉?吉宗時代初期の老中。土屋政直と共に吉宗の将軍就任をサポート。吉宗が嫌っていた新井白石と親交を持つ気骨のある人柄。江戸城中で脳卒中により急死。
(あべ まさたか)
家宣?吉宗時代初期の老中だったが、鷹狩りを止めるよう諫言したことで吉宗の不興を買い、失脚。その後も度々江戸城に登城し加納久通に老中再任を要求する、未練がましい性格。
(みずの ただゆき)
その明晰さをもって吉宗に迎えられた老中。しかし万事にやり方が苛烈なため諸臣と衝突することが多かった。後、宗堯死去の責任をとり辞任する。
(あんどう のぶとも)
西の丸付老中。大坂城代を務めていたことからの事情に詳しく、心中物の禁止に一役買った。その結果、商売の種を失った近松を嘆かせることに。
(まつだいら のりさと)
冷静沈着でかつ豪腕な、吉宗の幕政に数々の貢献を果たした老中。幕府の行く末を案じ、家重廃嫡?宗武擁立を試みる。しかし家重廃嫡の計画が公になり、失脚する。
(まつだいら のぶのり)
豪胆な手腕が評価され水野忠之の後任に登用された老中。吉宗の幕政に大いに貢献する。
(まつだいら たけもと)
頭脳明晰により、吉宗の引退後に吉宗により登用された老中。家治の教育係も任ぜられる。吉宗の最期を最も間近で見とった家臣となる。
(いのうえ まさみね)
綱吉?吉宗時代初期の老中。妻が松平頼純の娘(光貞の姪)だったことから、吉宗の藩主就任時の根回しを要請される。
(まつだいら てるさだ)
綱吉の側用人だが、綱吉時代は柳沢の陰に隠れ、家宣時代は間部?新井のコンビに追われて失脚。吉宗の時に間部?新井への当てつけのように復権するが、加納?有馬が活躍する中でやはり影は薄かった。後、老中へのご意見役となる。
(とだ ただざね)
家宣の代から仕えている老中。吉宗のやり方には否定的。年齢のせいかろれつが回らず、有馬につっこみをいれられている。
(ほんだ ただよし)
吉宗の命でお幸の方を京に帰そうとするが、家重の怒りを買って蟄居。見かねた松平乗邑によって本丸老中に引き抜かれる。後に、乗邑と共に宗武擁立派となる。
(やなぎさわ よしやす)
綱吉のから大老格に出世して絶大な権力を振るった実力者。家宣の将軍就任により失脚。
(おおくぼ ただとも)
綱吉時代の老中。鶴姫とともに、吉宗と綱吉を引き合わせるきっかけを作った人物。
(あべ まさたけ)
綱吉時代の老中で元禄期の幕政をリードした。正喬の父。
(まきの なりさだ)
綱吉の側用人として権勢を振うが、次第にその座を吉保に奪われる。
(とだ ただまさ)
綱吉時代の老中。忠真の父。
(あきもと たかとも)
綱吉?家宣時代の老中。甲府藩主となった柳沢に代わり、川越藩主となる。
(いい なおもり)
(まなべ あきふさ)
能役者の出で家宣、家継の二代にわたりとして新井白石とともに幕政を主導する。吉宗の8代将軍に就任より失脚。
(おがさわら ながしげ)
綱吉?家宣時代の老中。詮房と衝突し眼病を口実に辞職する。
(おおくぼ ただます)
大久保忠朝の子。綱吉?家宣時代の若年寄?老中。吉宗の紀州藩主就任の際に土屋政直とともに使者を務めた。
(ほった まさあき)/ (さかい ただずみ)/ (ほんだ まさよし)
演:(堀田)/ (酒井)/ (本多)
家重が将軍になるに当たって吉宗によって苦心の末抜擢された老中たちだが、やったことと言えば吉宗生涯の念願だった上洛を取りやめさせたことぐらいで、常に家重のわがままに振り回され、最後には吉宗に泣きつく。酒井に至っては家重に諫言したあげく「将軍の威勢を示すため」に簡単に罷免されるという、無能に描かれていた。
(ほんだ まさなが)/ (おおくぼ つねはる)/ (まつだいら のりかた)/ (さかい ただより)/ (さかい ただおと)
演: (本多)/ (常春)/ (松平)/ (忠寄)/ (忠音)
(おおおか ただすけ)
。晩年はに出世した後、1万石の藩主に就任し奏者番を兼ねる。本丸における能興行の後の饗膳に際し、大名が着座すべき溜間ではなく旗本の芙蓉の間に席が設けられていることに憤然と抗議し、周囲の冷ややかな視線の中、溜りの間で傲然と料理を口に運んだ。
(むろ きゅうそう):
加賀藩から抜擢された吉宗のお抱え儒学者。家重の筆頭教育係も任される。吉宗の痛いところも遠慮せず突く。の創設を吉宗に進言した。
(おぎわら しげひで)
綱吉時代にとして財政再建に励むが、新井白石との対立により失脚。
(おぎゅう そらい)
綱吉と吉宗の幕政に数々の助言を与えた新進気鋭の儒学者。ただ、勉強嫌いの吉宗にとって徂徠の話は理解するのが難しかった。
(はやし のぶあつ)
長年に渡り幕府のお抱え儒学者として奉職。大学頭。吉宗の信頼も厚かった。
(あらい はくせき)
家宣のお抱え儒学者として正徳の治をリードする論争の鬼。吉宗の将軍就任により失脚。不遇な余生を過ごすはめに。
(きら よしひさ)
紀州藩と遠縁に当たる。に江戸城で傷つけられ、幕府に大論争を巻き起こす。
(なるしま どうちく)
江戸城の表裏に通じる「物知り坊主」。医師ながら、有馬氏倫の下お庭番を束ね情報収集にも当たる。
(おおおか ただみつ)
家重付の小姓。家重の幼少時よりその側で仕え、その我侭に耐え抜く苦労人。言語不明瞭な家重の言葉を唯一理解できる人物。そのため、吉宗に通訳する事もしばしば。
(かみお はるひさ)
吉宗時代の後期に勘定奉行として活躍。
(たぬま せんざえもん)
旗本。意次の父。
(たぬま おきつぐ)
家重付きの小姓として家重の日常生活を補佐する。後、加納久通の推挙により吉宗最晩年の御側御用取次となる。
(たきがわ もとなが)
(いのう じろうざえもん)
家継時代の目付、吉宗時代の勘定奉行、北町奉行、大目付。江島事件や天一坊事件を担当する。
(いのうえ まさゆき)
寺社奉行。
(せんごく ひさなお)
松平定行(まつだいら さだゆき)
小姓組頭。
(さだこ)
吉保の正室。夫の権力保持のため、彼を立て、多くのことに目をつぶる。
(そめこ)
吉保の側室。綱吉の寵愛めでたい絶世の美人。
(おおぎまち まちこ)
右衛門佐の要請により本当なら綱吉の側室となるべくして京から連れてこられ、吉保の屋敷に滞在していた公家の姫。しかし、綱吉の興味を引かず、そのまま吉保の側室になる羽目に。綱豊(家宣)に献上した側室?お須免の方の推薦人。
(やなぎさわ よしさと)
吉保の子。
(まえだ つなのり)
水戸光圀の甥で「名君」「ご意見番」として歴代将軍も一目を置く四代加賀藩主。竹姫を嫡子?の後妻にしようという吉宗の申し出を見事な弁舌で断った。
(うえすぎ つなのり)
米沢藩主。妻が吉宗の姉?栄姫だった縁で元禄赤穂事件の際には紀州藩の支援を願い出るが、綱教の将軍継承に影響を出るのを嫌った松平頼純に断られてしまう。
(あさの たくみのかみ)
(まつだいら しげまさ)
一橋宗尹の嫡男でありながら、家重の命により無理矢理に越前松平家に養子に出される。
(あさの よしなが)
広島藩主。
(もうり もろなり)
長府藩主。
(やぎゅう としかた)
柳生藩主。
(とき よりとし)
沼田藩主。
(まつだいら たけまさ)
館林藩主。家宣の弟?に子供がいなかったため、尾張藩支藩?より養子に迎えられた。これを吉宗は尾張藩が将軍位を狙った物として疑う。
(まつだいら よりただ)
西条藩主。
(まつだいら よりさだ)
守山藩主。
(しまづ つぐとよ)
薩摩藩主。竹姫の夫。
(しまづ ますのすけ)
薩摩藩世子。継豊?竹姫夫妻の子。
(ちかまつ もんざえもん)
浄瑠璃作家にして本作の語り役。語り役になったきっかけは、自らの作品が幕府から規制されだしたため、「将軍家のお家事情をつまびらかにし、頭の堅い役人に一泡吹かせる」という憂さ晴らしだという設定。吉宗の幕政改革を外来語も交えて分かりやすく解説すると共に、時にはその手腕を批判することも。吉宗在世中の享保9年(1724年)に死去するが、「(のそれがし)が死んでは大河ドラマも終わりでござる!」と主張し、そのため死後は幽霊としてあちこちに神出鬼没し、物語を盛り上げた。
お梶(おかじ)
近松の娘。アシスタントとしてフリップを示したり、小道具を運んだりした。なお、史実では近松に娘はいない。
(りゅうこう)
桂昌院の寵愛を受け、絶大な権力を持った祈祷師。「生類憐みの令」を作った張本人の一人。
(いくしま しんごろう)
月光院の望みにより大奥に入った歌舞伎役者。
(いしだ ばいがん)
(にわ しょうはく)
本草学者。
(おがわ しょうせん)
小石川養生所医師。
(やました こうない)
(てんいちぼう)
吉宗が紀州で部屋住みの頃に山伏の娘に産ませた子と自称。吉宗本人は心当たりがあると言うが、周囲は全く似ていないという事で磔にされる。
(このえ もとひろ)
関白。天英院の父。娘の縁で度々江戸に下向。天英院の回想によると、吉宗の和歌を詠んであまりの下手さに公衆の面前で吹いたことがあるらしい。
(きのくにや ぶんざえもん)
吉宗に吉原でおごった事もある大商人。綱吉の幕政におおっぴらに文句を言った。
(たけもと ぎだゆう)
浄瑠璃師。
新兵衛(しんべえ)
お勢(おせい)
長右衛門(ちょうえもん)
農民?弥次郎(やじろう)/ 九助(きゅうすけ)
演:(弥次郎)/ (九助)
出羽国長瀞村の農民。
伊豆甚(いずじん)/ (みつい)
演:(伊豆甚)/ (みつい)
語り:(近松門左衛門役と兼任)
テーマ音楽演奏:
テーマ音楽指揮:
時代考証:
建築考証:
風俗考証:
衣装考証:
能楽指導:
所作指導:
殺陣?武術指導:
茶道指導:
邦楽指導:
タイトル映像:
撮影協力:和歌山県、(現?)
資料提供:、、
協力:、、、、、
人形遣い:、
制作統括:
美術:小林喬、青木聖和、清水猛
技術:渡辺秀男、佐藤博
音響効果:山本浩、田中正男、石川恭男
記録?編集:徳島小夜子、小林明子
撮影:佐藤彰、永野勇、後藤晋哉、溜昭浩
照明:佐野鉄男、竹内信博
音声:坂本好和、太田進溌、大塚茂夫、山中義弘、渡部義孝、奈良孝弘
映像技術:横瀬公男、芹沢瑛紀、小山雅典、末永隆雄
美術進行:金田有司、近藤智司、松谷尚文、小林大介
演出:大原誠、清水一彦、、、、木村隆文、、
7月23日は開票速報のため休止。
平均視聴率 26.4%(視聴率は?社調べ)
江戸の迷子
親の七光り
刃傷松の廊下
紀州の悲劇
はだか大名
綱吉の薨去
名君づくり
将軍は四才
へその曲げ方
美女お断り
中間管理職
伊勢田雅也
大奥の首座
いろは四十七組
伊勢田雅也
心中禁止令
天一坊始末
風雲児宗春
自由にて候
都鳥あわれ
君主の条件
みかんの木
第一部「紀州の殿様」
第二部「将軍の座」
第三部「祭ばやし」
総集編がVHSビデオ?DVDで発売されているが、通常放送回のソフト化はされていない。
にの依頼により、のであるによって「八代将軍 吉宗」が発売された。ラベルには八代将軍吉宗での題字がそのまま用いられた。
この手法は今作と同じく池部晋一郎が音楽を担当した1999年の『』でも使われた。
第31話にて、近松の夢の中で「言論統制令」をめぐって近松と対峙した吉宗が、幼少期に会ったことがある近松に自分の顔を思い出させるという、暴れん坊将軍を彷彿とさせるシーンがある。
第9話にて、吉宗が少年から大人になる際に疱瘡に罹患したという設定が与えられ、少年期の吉宗役だった阪本の顔面を包帯で覆い、疱瘡から快癒し包帯を解くと吉宗役が西田になっているというユニークな演出がなされた。
彼女の兄が「百姓ではなく武士」と主張するシーンがある。
史実では夭折した兄?がおり、ドラマでもその存在について触れられていたが、ストーリー上では三男として扱われていた。
当初はの予定で記者発表にも出席したが、交通事故による怪我のため降板し、藤間が代役を務めた。なお、山田と津川雅彦は奇しくも『』にて母子役で共演している。
の予定だったが、出産のため降板。
当初はの予定で一部収録も行われたが、病気のため降板。石立が代役を務め、高橋で収録済みの場面を撮り直した。
このの場面は『』の映像が流用されている。
の場面は江守がに扮した『』のシーンが流用されている(ただし顔は映っていない)。視聴者から「何故大石が出ないのか」という質問が来た際、アヴァンタイトルで近松が「この時の大石はそれがしだからでござる」と説明した。
八代将軍吉宗

我要回帖

更多关于 德川吉宗 的文章

 

随机推荐