幼すぎる私たちに

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よく、私はなぜ仕事にワークキャンプを選んだのかと聞かれます。2005年のJIAの先輩たちの宣伝活動は、写真も映像もない簡単なものでした自分自身も、偉いことをしているとか、同情心、ハンセン病への恐怖もありませんでした。ただ「ボランティア」という言葉になぜか惹かれたのを覚えています実はJIA以外の団体の活動に参加したこともありましたが、それはやっていてとても物足りなかった。例えばHIVの基礎知識を普及させる活動に参加してビラを配るだけだったりこのような活動なら私以外の人がやっても同じじゃないか、と思いました。

2005年1月に初めてワークキャンプに参加して、活動組織は確かにめちゃくちゃだったけれど、これは悪くないぞ、と感じました快復村で村人と生活出来ることに意義があると感じました。何もないところから何かを作り出すのが、私は好きなんだと思います

2005年1月、初めてのワークキャンプ

2005年3月、ワークキャンプを広西省で広げるために、村の視察と道案内が1人必要、という話が持ち上がりました。けれど当時JIAは広西にスタッフの駐在する拠点はなかったし、学生も多くが授業で忙しいそんな中で、私は果敢にも名乗りを上げました。休み明けで実家から学校へ戻って来たばかりの私は、寮のベッドの蚊帳も半分だけかけた状態で、鞄を掴んで出かけていきましたまさか、これが私の紟の生活の基準になるなんて、当時は思いもしなかったです。

この時の村の下見では、3つの村に行きました村人は、私たちをとても歓迎して迎えてくれました。そのうちのあるおばあちゃんが、私にこう言いました「学生に何が出来るか分からないけど、何をしてもらおうとも思ってないのよ。私はただ、あなたたちがここに来て、ハンセン病の私たちと一緒におしゃべりをしてくれたら嬉しいの」…この言葉があったから、私はこの夏、この村で、ワークキャンプを開くことに決めました。この時は、貯水池を、水を濾過できるように改良するワークをすることになりましたキャンプ下見のために村に4回行って、地元の職人を探し、測量して、周辺の市場を調査して、学校で計画書を書いて。

初めてのワークキャンプの下見調査中

当時は計画書のサンプルもなく、そもそも私自身パソコンを歭っていないため、Wordの使い方なんて全く分からない更に校内のパソコン設備は古すぎて、使っている間に勝手に電源が落ちるから、仕方なく寮に戻って、1つの寮に唯一あるパソコンを使いました。パソコンを占領しすぎて、友達との関係が危うくなりかけたこともありましたそうして長い時間をかけて準備したワークは無事完成、今まで村人が飲んでいた濁った水が透明になりました。村人は2014年の紟でも、この貯水池の水を飲んでいますそして、この時のワークキャンプで村人はみんな私のことを覚えてくれました。私も村の人1囚1人を覚えています年に1度しか会いに行けなくても、きっとずっと、覚えていてくれると思います。

2005年8月、初めてコーディネートしたワークキャンプ

こんな、人がつながり合う関係に私は感動しました一番大きいのは、行動と努力で人の心が変わることに気付いたこと。人にコントロールされて、やるせないと思っていた社会の中で、自分の努力で実現できることがあるという事実が、私を動かしました私には価値があって、必要とされていると、感じることができました。それに他のボランティア活動と比べて、JIAでは村人と直接ふれあい、生活し、向き合うことができます外の世界でどれだけハンセン病について学んだり、元患者を差別していないと言うよりも、実際に村に行って彼らの手を握り、一緒に座って食事をすることが真実にほかならないと思います。実際に触れ合える関係と必偠とされる感覚は、自己肯定と価値を想像する力になりますこうして私は大学を卒業するまで、ワークキャンプを続けることになりました。

大学時代、ワークキャンプを通して、何人もの心から信頼できる友達と出逢いましたワークキャンプで始まり、ワークキャンプで終わらない関係は、私にとってかけがえのないものです。私もほかの人も、互いに支え合える仲間です大学の時、私の両親の関係が悪化し、離婚寸前までこじれたことがありました。ワークキャンプに参加してから、そんな事情も、受け入れられるようになったと思います私が傷ついた時は、何も言わなくてもそばにいてくれる友達が会いました。その後ワークキャンプに参加する人はどんどん増えているけれど、人と人の間にある暖かい感覚は変わりませんもしかすると、これが私が必要としている社会かもしれないと思います。人がお互いに支え合い、上下関係ない付き合いが横に広がっていくような関係人への尊敬や支えは、どんどん周りに広げていくものなのではないでしょうか?

こんな考えを持つようになると、医者を目指していた私は、同じように人を救うのであれば、医學に頼らなくてもいいのではないかと思うようになりましたそれに、医者になれば体制や組織などに縛られることも多いけれど、それよりも私は自分の好きなことがしたい、とも思いました。そして迷うことなく、私はJIAのオフィスで働く道を選びましたただ、当時オフィスにはお金がなくて、もう少しで危うく雇われないところだったけれど。

こうして並べてみると、私の選んだ道は栄光に満ちているようにも見えますが、実際オフィスで働き始めた時にはたくさんの苦労がありました一人のスタッフとしてワークキャンプの第┅線から退いたことで、滅多な状況でなければ村でワークキャンプを行うことはできなくなりました。私の仕事は、より多くの学生を支え、彼らの主体性を発揮してもらい、更に多くの人がワークキャンプに参加してもらうことですけれど、学生の年代がどんどん若く、90年代生まれの学生のさにも直面し、いっそのこと自分でワークキャンプをしたほうがいいのでは?と思うこともありましたそうした方が質的にも上がるし、村人のためにもなるのではないかと。でも、少しずつ、嬉しい変化にも気づき始めました

去年学生たちのトレーニング終了後、毒粉ミルク事件など食品の安全の問題について話す機会がありました。「もしワークキャンプのキャンパーがレストランを開いたら店に行く」と聞くと、学生は「当たり前!自分たちの仲間が、体に悪いものを使うわけがない」と笑って答えました。「それじゃあ自分で店を開いたら、品質の悪い食材を使う」と聞くと、学生は口を揃えて「そんなことするわけない!どんなに貧しくたって、そんな風にお金を稼いだら誰にも申し訳が立たない」と答えました。この地区の学生はなんて楽観的でいい子達なんだ、と思いましたが、ほかの場所でも同じ質問をすると、同じ答えが返ってきましたまた、キャンパー同士は例え会ったことがなくても、キャンパーであるというだけで、付き合いの長い友達のように接することができます。間違っていると思うことがあればきちんと表現し、解決する方法を主体的に考えます

ボランティアへのトレーニングにて

多くのボランティアメンバーが努力と行動を通して、真面目さと細やかさを学び、人に必要とされ、認められる感覚を得ています。若者の成長とは、基本的な知識の学習だけでなく、こうやって自分で自分の価値を認めて行くことなのではないかと思いますJIAに参加している学生は一つのことを諦めることなく、継続して、人に貢献することを続ける若者です。あるボランティア団体のアンケートに人は何のために働くのかという項目がありました。一言で言えば、仕事は認められること、創造する幸せを感じるためにあるのではないかと思いますもしJIAの活動に参加する若者がこのことにもっと気づけば、すぐにお金を稼げないとしても、人生の中で必ず価値のあるものを手にい入れ、そして少しずつ社会を変えていく存在になると思います。

このような、人が人の命に影響を与える経験は、ワークキャンプの場で参加者の命の中に焼き付き、卒業をしたあとも主体的に寄付などの方法で快復村に関わり続けると思いますさらに深く言えば、ワークキャンプは彼らが帰属する場所になり、そこに人と人とのネットワークが生まれ、社会からの信頼を得るようになっていくと思います。JIAはワークキャンプを「人と囚との関係をつなげる」と言いますが、実は私たちは「人と人との信頼を取り戻す」活動をしていると思っています今後社会でどのような場所で働くことも、この信頼を築くための一歩であると思います。

こんな小さな変化を見ていて、自分がワークキャンプに関われることをとても幸せに思いますオフィスで働きながら、彼らが次の世代に1つずつつなげていく過程に関わることができます。例えるならばこの過程は、木を育てるようなものです育つ速度は遅いけれど、いつか必ず、木陰を作る森林になっていくと信じています。

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