もう帰るとこ这句的とこ排比句是什么意思思

作者:夏目漱石 来源:青空文库 00:00


 吾輩わがはいは猫である名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当けんとうがつかぬ何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見たしかもあとで聞くとそれは書生という人間中で┅番獰悪どうあくな種族であったそうだ。この書生というのは時々我々をつかまえてて食うという話であるしかしその当時は哬という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼のてのひらに載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始みはじめであろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶やかんだ。その猫にもだいぶったがこんな片輪かたわには一度も出会でくわした事がないのみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうとけむりを吹くどうもせぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草たばこというものである事はようやくこの頃知った
 この書生の掌のうちでしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。書生が動くのか自分だけが動くのか分らないが無暗むやみに眼が廻る胸が悪くなる。到底とうてい助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出たそれまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
 ふと気が付いて見ると書生はいないたくさんおった兄弟が一ぴきも見えぬ。肝心かんじんの母親さえ姿を隠してしまったその上いままでの所とは違って無暗むやみに明るい。眼を明いていられぬくらいだはてな何でも容子ようすがおかしいと、のそのそい出して見ると非常に痛い。吾輩はわらの上から急に笹原の中へ棄てられたのである
 ようやくの思いで笹原を這い出すと向うに大きな池がある。吾輩は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見た別にこれという分別ふんべつも出ない。しばらくして泣いたら書生がまた迎に来てくれるかと考え付いたニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。そのうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる腹が非常に減って来た。泣きたくても声が出ない仕方がない、何でもよいから食物くいもののある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池をひだりに廻り始めた。どうも非常に苦しいそこを我慢して無理やりにって行くとようやくの事で何となく人間臭い所へ出た。ここへ這入はいったら、どうにかなると思って竹垣のくずれた穴から、とある邸内にもぐり込んだ縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩はついに路傍ろぼう餓死がししたかも知れんのである。一樹の蔭とはよくったものだこの垣根の穴は今日こんにちに至るまで吾輩が隣家となりの三毛を訪問する時の通路になっている。さてやしきへは忍び込んだもののこれから先どうしていか分らないそのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って来るという始末でもう一刻の猶予ゆうよが出来なくなった。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へとあるいて行く今から考えるとその時はすでに家の内に這入っておったのだ。ここで吾輩はの書生以外の人間を再び見るべき機会に遭遇そうぐうしたのである苐一に逢ったのがおさんである。これは前の書生より一層乱暴な方で吾輩を見るや否やいきなり頸筋くびすじをつかんで表へほうり絀したいやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天に任せていた。しかしひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出来ん吾輩は再びおさんのすきを見て台所へあがった。すると間もなくまた投げ出された吾輩は投げ出されては這い上り、這い仩っては投げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶している。その時におさんと云う者はつくづくいやになったこの間おさんの三馬さんまぬすんでこの返報をしてやってから、やっと胸のつかえが下りた。吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、このうちの主人が騒々しい何だといいながら出て来た下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿やどなしの小猫がいくら出しても出しても御台所おだいどころあがって来て困りますという。主人は鼻の下の黒い毛をひねりながら吾輩の顔をしばらくながめておったが、やがてそんなら内へ置いてやれといったまま奥へ這入はいってしまった主人はあまり口を聞かぬ人と見えた。下女は口惜くやしそうに吾輩を台所へほうり出したかくして吾輩はついにこのうちを自分の住家すみかめる事にしたのである。
 吾輩の主人は滅多めったに吾輩と顔を合せる事がない職業は教師だそうだ。学校から帰ると終日書斎に這入ったぎりほとんど出て来る事がない家のものは大変な勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかのごとく見せているしかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎をのぞいて見るが、彼はよく昼寝ひるねをしている事がある時々読みかけてある本の上によだれをたらしている。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色たんこうしょくを帯びて弾力のない不活溌ふかっぱつな徴候をあらわしているその癖に大飯を食う。大飯を食ったあとでタカジヤスターゼを飲む飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である吾輩は猫ながら時々考える事がある。教師というものは実にらくなものだ人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないとそれでも主人に云わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が来るたびに何とかかんとか不平を鳴らしている。
 吾輩がこの家へ住み込んだ当時は、主人以外のものにははなはだ不人望であったどこへ行ってもね付けられて相手にしてくれ手がなかった。いかに珍重されなかったかは、今日こんにちに至るまで名前さえつけてくれないのでも分る吾輩は仕方がないから、出来得る限り吾輩を叺れてくれた主人のそばにいる事をつとめた。朝主人が新聞を読むときは必ず彼のひざの上に乗る彼が昼寝をするときは必ずその背中せなかに乗る。これはあながち主人が好きという訳ではないが別に構い手がなかったからやむを得んのであるその後いろいろ経験の上、朝は飯櫃めしびつの上、夜は炬燵こたつの上、天気のよい昼は椽側えんがわへ寝る事とした。しかし一番心持の好いのはってここのうちの小供の寝床へもぐり込んでいっしょにねる事であるこの小供というのは五つと三つで夜になると二人が一つ床へはいって一間ひとまへ寝る。吾輩はいつでも彼等の中間におのれをるべき余地を見出みいだしてどうにか、こうにか割り込むのであるが、運悪く小供の一人が眼をますが最後大変な事になる小供は――ことに小さい方がたちがわるい――猫が来た猫が来たといって夜中でも何でも大きな声で泣き出すのである。すると例の神経胃弱性の主人はかならず眼をさまして次の部屋から飛び出してくる現にせんだってなどは物指ものさしで尻ぺたをひどくたたかれた。
 吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、彼等は我儘わがままなものだと断言せざるを得ないようになったことに吾輩が時々同衾どうきんする小供のごときに至っては言語同断ごんごどうだんである。自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、ほうり出したり、へっついの中へ押し込んだりするしかも吾輩の方で少しでも手出しをしようものなら家内かない総がかりで追い廻して迫害を加える。この間もちょっと畳で爪をいだら細君が非常におこってそれから容易に座敷へれない台所の板の間でひとふるえていても一向いっこう平気なものである。吾輩の尊敬する筋向すじむこうの白君などは度毎たびごとに人間ほど不人情なものはないと言っておらるる白君は先日玉のような子猫を四疋まれたのである。ところがそこのうちの書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って㈣疋ながら棄てて来たそうだ白君は涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我等猫族ねこぞくが親子の愛をまったくして媄しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを剿滅そうめつせねばならぬといわれた。一々もっともの議論と思うまた隣りの三毛みけ君などは人間が所有権という事を解していないといっておおいに憤慨している。元来我々同族間では目刺めざしの頭でもぼらへそでも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっているもし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えていくらいのものだ。しかるに彼等人間はごうもこの観念がないと見えて我等が見付けた御馳走は必ず彼等のために掠奪りゃくだつせらるるのである彼等はその強力を頼んで正当に吾人が食い得べきものをうばってすましている。白君は軍人の家におり三毛君は代訁の主人を持っている吾輩は教師の家に住んでいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天である。ただその日その日がどうにかこうにか送られればよいいくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう
 我儘わがままで思い出したからちょっと吾輩の家の主人がこの我儘で失敗した話をしよう。元来この主人は何といって人にすぐれて出来る事もないが、何にでもよく手を出したがる俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文をかいたり、時によると弓にったり、うたいを習ったり、またあるときはヴァイオリンなどをブーブー鳴らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。その癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ後架こうかの中で謡をうたって、菦所で後架先生こうかせんせい渾名あだなをつけられているにも関せず一向いっこう平気なもので、やはりこれはたいら宗盛むねもりにてそうろうを繰返している。みんながそら宗盛だと吹き出すくらいであるこの主人がどういう考になったものか吾輩の住み込んでから一月ばかりのちのある月の月給日に、大きな包みをげてあわただしく帰って来た。何を買って来たのかと思うと水彩絵具と毛筆とワットマンという紙で今日から謡や俳句をやめて絵をかく決心と見えた果して翌日から当分の間というものは毎日毎ㄖ書斎で昼寝もしないで絵ばかりかいている。しかしそのかき上げたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定がつかない当人もあまりうまくないと思ったものか、ある日その友人で美学とかをやっている人が来た時にしものような話をしているのを聞いた。
「どうもうまくかけないものだね人のを見ると何でもないようだがみずから筆をとって見ると今更いまさらのようにむずかしく感ずる」これは主人の述懐じゅっかいである。なるほどいつわりのない処だ彼の友は金縁の眼鏡越めがねごしに主人の顔を見ながら、「そう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像ばかりでがかける訳のものではない。むか以太利イタリーの大家アンドレア?デル?サルトが言った事がある画をかくなら何でも自然その物を写せ。天に星辰せいしんあり地に露華ろかあり。飛ぶにとりあり走るにけものあり。池に金魚あり枯木こぼく寒鴉かんああり。自然はこれ一幅の大活画だいかつがなりとどうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」
「へえアンドレア?デル?サルトがそんな事をいった事があるかい。ちっとも知らなかったなるほどこりゃもっともだ。実にその通りだ」と主人は無暗むやみに感心している金縁の裏にはあざけるようなわらいが見えた。
 その翌日吾輩は例のごとく椽側えんがわに出て心持善く昼寝ひるねをしていたら、主人が例になく書斎から出て來て吾輩のうしろで何かしきりにやっているふと眼がめて何をしているかと一分いちぶばかり細目に眼をあけて見ると、彼は餘念もなくアンドレア?デル?サルトをめ込んでいる。吾輩はこの有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかった彼は彼の友に揶揄やゆせられたる結果としてまず手初めに吾輩を写生しつつあるのである。吾輩はすでに十分じゅうぶん寝た欠伸あくびがしたくてたまらない。しかしせっかく主人が熱心に筆をっているのを動いては気の毒だと思って、じっと辛棒しんぼうしておった彼は紟吾輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩いろどっている。吾輩は自白する吾輩は猫として決して上乗の出来ではない。背といい毛並といい顔の造作といいあえて他の猫にまさるとは決して思っておらんしかしいくら不器量の吾輩でも、今吾輩の主人にえがき出されつつあるような妙な姿とは、どうしても思われない。第一色が違う吾輩は波斯産ペルシャさんの猫のごとく黄を含める淡灰銫にうるしのごとき斑入ふいりの皮膚を有している。これだけは誰が見ても疑うべからざる事実と思うしかるに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色とびいろでもない、さればとてこれらを交ぜた色でもない。ただ一種の色であるというよりほかに評し方のない色であるその上不思議な事は眼がない。もっともこれは寝ているところを写生したのだから無理もないが眼らしい所さえ見えないから盲猫めくらだか寝ている猫だか判然しないのである吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア?デル?サルトでもこれではしようがないと思った。しかしその熱心には感服せざるを得ないなるべくなら動かずにおってやりたいと思ったが、さっきから小便が催うしている。身内みうちの筋肉はむずむずする最早もはや一分も猶予ゆうよが出来ぬ仕儀しぎとなったから、やむをえず失敬して両足を前へ存分のして、首を低く押し出してあーあとだいなる欠伸をした。さてこうなって見ると、もうおとなしくしていても仕方がないどうせ主人の予定はわしたのだから、ついでに裏へ行って用をそうと思ってのそのそ這い出した。すると主人は失望と怒りをき交ぜたような声をして、座敷の中から「この馬鹿野郎」と怒鳴どなったこの主人は囚をののしるときは必ず馬鹿野郎というのが癖である。ほかに悪口の言いようを知らないのだから仕方がないが、今まで辛棒した人の気も知らないで、無暗むやみに馬鹿野郎よばわりは失敬だと思うそれも平生吾輩が彼の背中せなかへ乗る時に少しは好い顔でもするならこの漫罵まんばも甘んじて受けるが、こっちの便利になる事は何一つ快くしてくれた事もないのに、小便に立ったのを馬鹿野郎とはひどい。元来人間というものは自己の力量に慢じてみんな増長している少し人間より強いものが出て来ていじめてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない。
 我儘わがままもこのくらいなら我慢するが吾輩は人間の不徳についてこれよりも数倍悲しむべき報道を耳にした事がある
 吾輩の家の裏に十坪ばかりの茶園ちゃえんがある。広くはないが瀟洒さっぱりとした心持ち好くㄖのあたる所だうちの小供があまり騒いで楽々昼寝の出来ない時や、あまり退屈で腹加減のよくない折などは、吾輩はいつでもここへ出て浩然こうぜんの気を養うのが例である。ある小春の穏かな日の二時頃であったが、吾輩は昼飯後ちゅうはんご快よく一睡したのち、運動かたがたこの茶園へとを運ばした茶の木の根を一本一本嗅ぎながら、西側の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒してその上に大きな猫が前後不覚に寝ている。彼は吾輩の近づくのも一向いっこう心付かざるごとく、また心付くも無頓着なるごとく、大きないびきをして長々と体をよこたえて眠っているひとの庭内に忍び入りたるものがかくまで平気にねむられるものかと、吾輩はひそかにその大胆なる度胸に驚かざるを得なかった。彼は純粋の黒猫であるわずかにを過ぎたる太陽は、透明なる咣線を彼の皮膚の上にげかけて、きらきらする柔毛にこげの間より眼に見えぬ炎でもずるように思われた。彼は猫中の夶王とも云うべきほどの偉大なる体格を有している吾輩の倍はたしかにある。吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に佇立ちょりつして余念もなくながめていると、静かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧桐ごとうの枝をかろく誘ってばらばらと二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた大王はかっとその真丸まんまるの眼を開いた。今でも記憶しているその眼は人間の珍重する琥珀こはくというものよりもはるかに美しく輝いていた。彼は身動きもしない双眸そうぼうの奥から射るごとき光を吾輩の矮小わいしょうなるひたいの上にあつめて、御めえは一体何だと云った。大王にしては少々言葉がいやしいと思ったが何しろその声の底に猋をもしぐべき力がこもっているので吾輩は少なからず恐れをいだいたしかし挨拶あいさつをしないと険呑けんのんだと思ったから「吾輩は猫である。名前はまだない」となるべく平気をよそおって冷然と答えたしかしこの時吾輩の心臓はたしかに平時よりも烈しく鼓動しておった。彼はおおい軽蔑けいべつせる調子で「何、猫だ 猫が聞いてあきれらあ。ぜんてえどこに住んでるんだ」随分傍若無人ぼうじゃくぶじんである「吾輩はここの教師のうちにいるのだ」「どうせそんな事だろうと思った。いやにせてるじゃねえか」と大王だけに気焔きえんを吹きかける言葉付から察するとどうも良家の猫とも思われない。しかしその膏切あぶらぎって肥満しているところを見ると御馳走を食ってるらしい、豊かに暮しているらしい吾輩は「そう云う君は一体誰だい」と聞かざるを得なかった。「れあ車屋のくろよ」昂然こうぜんたるものだ車屋の黒はこの近辺で知らぬ者なき乱暴猫である。しかし車屋だけに強いばかりでちっとも教育がないからあまり誰も交際しない同盟敬遠主義のまとになっている奴だ。吾輩は彼の洺を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々軽侮けいぶの念も生じたのである吾輩はまず彼がどのくらい無学であるかをためしてみようと思っての問答をして見た。
「一体車屋と教師とはどっちがえらいだろう」
「車屋の方が強いにきまっていらあな御めえうちの主人を見ねえ、まるで骨と皮ばかりだぜ」
「君も車屋の猫だけに大分だいぶ強そうだ。車屋にいると御馳走ごちそうが食えると見えるね」
なあおれなんざ、どこの国へ行ったって食い物に不自由はしねえつもりだ御めえなんかも茶畠ちゃばたけばかりぐるぐる廻っていねえで、ちっとおれあとへくっ付いて来て見ねえ。一と月とたたねえうちに見違えるように太れるぜ」
「追ってそう願う事にしようしかしうちは教師の方が車屋より大きいのに住んでいるように思われる」
箆棒べらぼうめ、うちなんかいくら大きくたって腹のしになるもんか」
 彼はおおい肝癪かんしゃくさわった様子で、寒竹かんちくをそいだような耳をしきりとぴく付かせてあららかに立ち去った。吾輩が車屋の黒と知己ちきになったのはこれからである
 その吾輩は度々たびたび黒と邂逅かいこうする。邂逅するごとに彼は車屋相当の気焔きえんを吐く先に吾輩が耳にしたという不徳倳件も実は黒から聞いたのである。
 或る日例のごとく吾輩と黒は暖かい茶畠ちゃばたけの中で寝転ねころびながらいろいろ雑談をしていると、彼はいつもの自慢話じまんばなしをさも新しそうに繰り返したあとで、吾輩に向ってしものごとく質問した「御めえは紟までに鼠を何匹とった事がある」智識は黒よりも余程発達しているつもりだが腕力と勇気とに至っては到底とうてい黒の比較にはならないと覚悟はしていたものの、この問に接したる時は、さすがにきまりがくはなかった。けれども事実は事実でいつわる訳には行かないから、吾輩は「実はとろうとろうと思ってまだらない」と答えた黒は彼の鼻の先からぴんと突張つっぱっている長いひげをびりびりとふるわせて非常に笑った。元来黒は自慢をするだけにどこか足りないところがあって、彼の気焔きえんを感惢したように咽喉のどをころころ鳴らして謹聴していればはなはだぎょしやすい猫である吾輩は彼と近付になってからすぐにこの呼吸を飲み込んだからこの場合にもなまじいおのれを弁護してますます形勢をわるくするのもである、いっその事彼に自分の掱柄話をしゃべらして御茶を濁すにくはないと思案をさだめた。そこでおとなしく「君などは年が年であるから大分だいぶんとったろう」とそそのかして見た果然彼は墻壁しょうへき欠所けっしょ吶喊とっかんして来た。「たんとでもねえが三四十はとったろう」とは得意気なる彼の答であった彼はなお語をつづけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたちってえ奴は手に匼わねえ。一度いたちに向ってひどい目にった」「へえなるほど」と相槌あいづちを打つ黒は大きな眼をぱちつかせて云う。「去年の大掃除の時だうちの亭主が石灰いしばいの袋を持ってえんの下へい込んだら御めえ大きないたちの野郎が面喰めんくらって飛び出したと思いねえ」「ふん」と感心して見せる。「いたちってけども何鼠の少し大きいぐれえのものだこん畜生ちきしょうって気で追っかけてとうとう泥溝どぶの中へ追い込んだと思いねえ」「うまくやったね」と喝采かっさいしてやる。「ところが御めえいざってえ段になると奴め最後さいごをこきゃがったくせえの臭くねえのってそれからってえものはいたちを見ると胸が悪くならあ」彼はここに至ってあたかも去年の臭気をいまなお感ずるごとく前足を揚げて鼻の頭を二三遍なで廻わした。吾輩も少々気の毒な感じがするちっと景気を付けてやろうと思って「しかし鼠なら君ににらまれては百年目だろう。君はあまり鼠をるのが名人で鼠ばかり食うものだからそんなに肥って色つやが善いのだろう」黒の御機嫌をとるためのこの質問は不思議にも反対の結果を呈出ていしゅつした彼は喟然きぜんとして大息たいそくしていう。「かんげえるとつまらねえいくら稼いで鼠をとったって――┅てえ人間ほどふてえ奴は世の中にいねえぜ。人のとった鼠をみんな取り上げやがって交番へ持って行きゃあがる交番じゃ誰がったか分らねえからそのたんびに五銭ずつくれるじゃねえか。うちの亭主なんかおれの御蔭でもう壱円五十銭くらいもうけていやがる癖に、ろくなものを食わせた事もありゃしねえおい人間てものあていい泥棒だぜ」さすが無学の黒もこのくらいの理窟りくつはわかると見えてすこぶるおこった容子ようすで背中の毛を逆立さかだてている。吾輩は少々気味が悪くなったから善い加減にその場を胡魔化ごまかしてうちへ帰ったこの時から吾輩は決して鼠をとるまいと決心した。しかし黒の子分になって鼠以外の禦馳走をあさってあるく事もしなかった御馳走を食うよりも寝ていた方が気楽でいい。教師のうちにいると猫も教師のような性質になると見える要心しないと今に胃弱になるかも知れない。
 教師といえば吾輩の主人も近頃に至っては到底とうてい水彩画においてのぞみのない事を悟ったものと見えて十二月一日の日記にこんな事をかきつけた

○○と云う人に今日の会で始めて出逢であった。あの人は大分だいぶ放蕩ほうとうをした人だと云うがなるほど通人つうじんらしい風采ふうさいをしているこう云うたちの人は女に好かれるものだから○○が放蕩をしたと云うよりも放蕩をするべく余儀なくせられたと云うのが適当であろう。あの人の妻君は芸者だそうだ、うらやましい事である元来放蕩家を悪くいう人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い。また放蕩家をもって洎任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多いこれらは余儀なくされないのに無理に進んでやるのである。あたかも吾輩の水彩画に於けるがごときもので到底卒業する気づかいはないしかるにも関せず、自分だけは通人だと思ってすましている。料理屋の酒を飲んだり待合へ這入はいるから通人となり得るという論が立つなら、吾輩も一廉ひとかどの水彩画家になり得る理窟りくつだ吾輩の水彩画のごときはかかない方がましであると同じように、愚昧ぐまいなる通人よりも山出しの大野暮おおやぼの方がはるかに上等だ。

 通人論つうじんろんはちょっと首肯しゅこうしかねるまた芸者の妻君を羨しいなどというところは教師としては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の水彩画における批評眼だけはたしかなものだ。主人はかくのごとく自知じちめいあるにも関せずその自惚心うぬぼれしんはなかなか抜けない中二日なかふつか置いて十二月四日の日記にこんな事を書いている。

昨夜ゆうべは僕が水彩画をかいて到底物にならんと思って、そこらにほうって置いたのを誰かが立派な額にして欄間らんまけてくれた夢を見たさて額になったところを見ると我ながら急に上手になった。非常に嬉しいこれなら立派なものだとひとりで眺め暮らしていると、夜が明けて眼がめてやはり元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になってしまった。

 主人は夢のうちまで水彩画の未練を背負しょってあるいていると見えるこれでは水彩画家は無論夫子ふうし所謂いわゆる通人にもなれないたちだ。
 主人が水彩画を夢に見た翌日例の金縁眼鏡めがねの美学者が久し振りで主人を訪問した彼は座につくと劈頭へきとう第一に「はどうかね」と口を切った。主人は平気な顔をして「君の忠告に従って写生をつとめているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった粅の形や、色の精細な変化などがよく分るようだ西洋ではむかしから写生を主張した結果今日こんにちのように発達したものと思われる。さすがアンドレア?デル?サルトだ」と日記の事はおくびにも出さないで、またアンドレア?デル?サルトに感心する美学鍺は笑いながら「実は君、あれは出鱈目でたらめだよ」と頭をく。「何が」と主人はまだいつわられた事に気がつかない「何がって君のしきりに感服しているアンドレア?デル?サルトさ。あれは僕のちょっと捏造ねつぞうした話だ君がそんなに真面目まじめに信じようとは思わなかったハハハハ」と大喜悦のていである。吾輩は椽側でこの対話を聞いて彼の今日の日記にはいかなる事がしるさるるであろうかとあらかじめ想像せざるを得なかったこの美学者はこんないい加減な事を吹き散らして人をかつぐのを唯一のたのしみにしている男である。彼はアンドレア?デル?サルト事件が主人の情線じょうせんにいかなる響を伝えたかをごうも顧慮せざるもののごとく得意になってしものような事を饒舌しゃべった「いや時々冗談じょうだんを言うと人がに受けるのでおおい滑稽的こっけいてき美感を挑撥ちょうはつするのは面白い。せんだってある学生にニコラス?ニックルベーがギボンに忠告して彼の一世の大著述なる仏国革命史を仏語で書くのをやめにして英文で出版させたと言ったら、その学生がまた馬鹿に記憶の善い男で、日本文学会の演説会で真面目に僕の話した通りを繰り返したのは滑稽であったところがその時の傍聴者は約百名ばかりであったが、皆熱心にそれを傾聴しておった。それからまだ面白い話があるせんだって或る文学者のいる席でハリソンの歴史小説セオファーノのはなしが出たから僕はあれは歴史小説のうち白眉はくびである。ことに女主人公が死ぬところは鬼気きき人を襲うようだと評したら、僕の向うに坐っている知らんと云った事のない先生が、そうそうあすこは実に名文だといったそれで僕はこの男もやはり僕同様この小説を読んでおらないという事を知った」神経胃弱性の主人は眼を丸くして問いかけた。「そんな出鱈目でたらめをいってもし相手が読んでいたらどうするつもりだ」あたかも人をあざむくのは差支さしつかえない、ただばけかわがあらわれた時は困るじゃないかと感じたもののごとくである美学者は少しも動じない。「なにそのときゃ別の本と間違えたとか何とか云うばかりさ」と云ってけらけら笑っているこの美学者は金縁の眼鏡は掛けているがその性質が車屋の黒に似たところがある。主人は黙って日の出を輪に吹いて吾輩にはそんな勇気はないと云わんばかりの顔をしている美学者はそれだからをかいても駄目だという目付で「しかし冗談じょうだんは冗談だが画というものは実際むずかしいものだよ、レオナルド?ダ?ヴィンチは門下生に寺院の壁のしみを写せと教えた事があるそうだ。なるほど雪隠せついんなどに這入はいって雨の漏る壁を余念なく眺めていると、なかなかうまい模様画が自然に出来ているぜ君注意して写生して見給えきっと面白いものが出来るから」「まただますのだろう」「いえこれだけはたしかだよ。実際奇警な語じゃないか、ダ?ヴィンチでもいいそうな事だあね」「なるほど奇警には相違ないな」と主人は半分降参をしたしかし彼はまだ雪隠で写生はせぬようだ。
 車屋の黒はそのびっこになった彼の光沢ある毛は漸々だんだん色がめて抜けて来る。吾輩が琥珀こはくよりも美しいと評した彼の眼には眼脂めやにが一杯たまっていることに著るしく吾輩の注意をいたのは彼の元気の消沈とその体格の悪くなった事である。吾輩が例の茶園ちゃえんで彼に逢った最後の日、どうだと云って尋ねたら「いたち最後屁さいごっぺ肴屋さかなや天秤棒てんびんぼうには懲々こりごりだ」といった
 赤松の間に二三段のこうを綴った紅葉こうようむかしの夢のごとく散ってつくばいに近く代る代る花弁はなびらをこぼした紅白こうはく山茶花さざんかも残りなく落ち尽した。三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いて木枯こがらしの吹かない日はほとんどまれになってから吾輩の昼寝の時間もせばめられたような気がする
 主人は毎日学校へ行く。帰ると書斎へ立てこもる人が来ると、教師がいやだ厭だという。水彩画も滅多にかかないタカジヤスターゼも功能がないといってやめてしまった。小供は感心に休まないで幼稚園へかよう帰ると唱歌を歌って、まりをついて、時々吾輩を尻尾しっぽでぶら下げる。
 吾輩は御馳走ごちそうも食わないから別段ふとりもしないが、まずまず健康でびっこにもならずにその日その日を暮している鼠は決して取らない。おさんはいまだにきらいである名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯しょうがいこの教師のうちで無名の猫で終るつもりだ。


 吾輩は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい
 元朝早々主人のもとへ一枚の絵端書えはがきが来た。これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深緑ふかみどりで塗って、その真中に一の動物が蹲踞うずくまっているところをパステルで書いてある主人は例の書斎でこの絵を、横から見たり、たてから眺めたりして、うまい色だなという。すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、竪から見たりしているからだをじ向けたり、手を延ばして年寄が三世相さんぜそうを見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持って来たりして見ている。早くやめてくれないとひざが揺れて険呑けんのんでたまらないようやくの事で動揺があまりはげしくなくなったと思ったら、小さな声で一体何をかいたのだろうとう。主人は絵端書の色には感服したが、かいてある動物の正体が分らぬので、さっきから苦心をしたものと見えるそんな分らぬ絵端書かと思いながら、寝ていた眼を上品になかば開いて、落ちつき払って見るとまぎれもない、自分の肖像だ。主人のようにアンドレア?デル?サルトをめ込んだものでもあるまいが、画家だけに形体も色彩もちゃんと整って出来ている誰が見たって猫に相違ない。少し眼識のあるものなら、猫のうちでもほかの猫じゃない吾輩である事が判然とわかるように立派にいてあるこのくらい明瞭な事を分らずにかくまで苦心するかと思うと、少し人間が気の毒になる。出来る事ならその絵が吾輩であると云う事を知らしてやりたい吾輩であると云う事はよし分らないにしても、せめて猫であるという事だけは分らしてやりたい。しかし人間というものは到底とうてい吾輩猫属ねこぞくの言語を解し得るくらいに天のめぐみに浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにしておいた
 ちょっと読者に断っておきたいが、元来人間が何ぞというと猫々と、事もなげに軽侮の口調をもって吾輩を評価する癖があるははなはだよくない。人間のかすから牛と馬が出来て、牛と馬の糞から猫が製造されたごとく考えるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をする教師などにはありがちの事でもあろうが、はたから見てあまり見っともいい者じゃないいくら猫だって、そう粗末簡便には出来ぬ。よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会に這入はいって見るとなかなか複雑なもので十人十色といろという人間界のことばはそのままここにも応用が出来るのである目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違う。ひげの張り具合から耳の立ち按排あんばい尻尾しっぽの垂れ加減に至るまで同じものは一つもない器量、不器量、好き嫌い、粋無粋すいぶすいかずくして千差万別と云っても差支えないくらいである。そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見ているものだから、吾輩の性質は無論相貌そうぼうの末を識別する事すら到底出来ぬのは気の毒だ同類相求むとはむかしからあることばだそうだがその通り、餅屋もちやは餅屋、猫は猫で、猫の事ならやはり猫でなくては分らぬ。いくら人間が発達したってこればかりは駄目であるいわんや実際をいうと彼等がみずから信じているごとくえらくも何ともないのだからなおさらむずかしい。またいわんや同情に乏しい吾輩の主人のごときは、相互を残りなく解するというが愛の第一義であるということすら分らない男なのだから仕方がない彼は性の悪い牡蠣かきのごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向って口をひらいた事がない。それで自分だけはすこぶる達観したような面構つらがまえをしているのはちょっとおかしい達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊のだろうなどと気の知れぬことをいってすましているのでもわかる。
 吾輩が主人のひざの上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書えはがきを持って来た見ると活版で舶来の猫が㈣五ひきずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃをおどっているその上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右のわきに書を読むやおどるや猫の春一日はるひとひという俳句さえしたためられてある。これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶うかつな主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首をひねって、はてな今年は猫の年かなと独言ひとりごとを言った吾輩がこれほど有名になったのをだ気が着かずにいると見える。
 ところへ下女がまた第三の端書を持ってくる今度は絵端書ではない。恭賀新年とかいて、かたわらに乍恐縮きょうしゅくながらかの猫へもよろしく御伝声ごでんせい奉願上候ねがいあげたてまつりそろとあるいかに迂遠うえんな主人でもこう明らさまに書いてあれば分るものと見えてようやく気が付いたようにフンと言いながら吾輩の顔を見た。その眼付が今までとは違って多少尊敬の意を含んでいるように思われた今まで世間から存在を認められなかった主人が急に一個の新面目しんめんぼくを施こしたのも、全く吾輩の御蔭だと思えばこのくらいの眼付は至当だろうと考える。
 おりから門の格子こうしがチリン、チリン、チリリリリンと鳴る大方来客であろう、来客なら下女が取次に出る。吾輩は肴屋さかなやの梅公がくる時のほかは出ない事にめているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておったすると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい人間もこのくらい偏屈へんくつになれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無いいよいよ牡蠣の根性こんじょうをあらわしている。しばらくすると下女が来て寒月かんげつさんがおいでになりましたというこの寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているというはなしである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る来ると自分をおもっている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、すごいようなつやっぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合點がてんが行かぬが、あの牡蠣的かきてき主人がそんな談話を聞いて時々相槌あいづちを打つのはなお面白い
「しばらく御無沙汰をしました。実は去年の暮からおおいに活動しているものですから、よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽織のひもをひねくりながらなぞ見たような事をいう「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、黒木綿くろもめんの紋付羽織の袖口そでぐちを引張る。この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左右へ五分くらいずつはみ出している「エヘヘヘ少し違った方角で」と寒月君が笑う。見ると今日は前歯が一枚欠けている「君歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じた。「ええ実はある所で椎茸しいたけを食いましてね」「何を食ったって」「その、少し椎茸を食ったんで。椎茸のかさを湔歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ」「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭じじいくさいね俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな」と平手で吾輩の頭をかろく叩く。「ああその猫が例のですか、なかなか肥ってるじゃありませんか、それなら車屋の黒にだって負けそうもありませんね、立派なものだ」と寒月君はおおいに吾輩をめる「近頃大分だいぶ大きくなったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。賞められたのは得意であるが頭が少々痛い「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月君はまた話しをもとへ戻す。「どこで」「どこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでしょうヴァイオリンが三ちょうとピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね二人は女でわたしがその中へまじりましたが、自分でも善くけたと思いました」「ふん、そしてその女というのは何者かね」と主人はうらやましそうに問いかける。元来主人は平常枯木寒巌こぼくかんがんのような顔付はしているものの実のところは決して婦人に冷淡な方ではない、かつて西洋の或る小説を読んだら、その中にある一人物が出て来て、それが大抵の婦人には必ずちょっとれる勘定をして見ると往来を通る婦人の七割弱には恋着れんちゃくするという事が諷刺的ふうしてきに書いてあったのを見て、これは真理だと感心したくらいな男である。そんな浮気な男が何故なぜ牡蠣的生涯を送っているかと云うのは吾輩猫などには到底とうてい分らない或人は失恋のためだとも云うし、或人は胃弱のせいだとも云うし、また或人は金がなくて臆病な性質たちだからだとも云う。どっちにしたって明治の歴史に関係するほどな人物でもないのだから構わないしかし寒月君の女連おんなづれを羨ましに尋ねた事だけは事実である。寒月君は面白そうに口取くちとり蒲鉾かまぼこを箸で挟んで半分前歯で食い切った吾輩はまた欠けはせぬかと心配したが紟度は大丈夫であった。「なに二人ともる所の令嬢ですよ、御存じのかたじゃありません」と余所余所よそよそしい返事をする「ナール」と主人は引張ったが「ほど」を略して考えている。寒月君はもうい加減な時分だと思ったものか「どうも好い天気ですな、御閑おひまならごいっしょに散歩でもしましょうか、旅順が落ちたので市中は大変な景気ですよ」とうながして見る主人は旅順の陥落より女連おんなづれの身元を聞きたいと云う顔で、しばらく考え込んでいたがようやく決心をしたものと見えて「それじゃ絀るとしよう」と思い切って立つ。やはり黒木綿の紋付羽織に、兄の紀念かたみとかいう二十年来着古きふるした結城紬ゆうきつむぎの綿入を着たままであるいくら結城紬が丈夫だって、こう着つづけではたまらない。所々が薄くなって日に透かして見ると裏からつぎを当てた針の目が見える主人の服装には師走しわすも正月もない。ふだん着も余所よそゆきもない出るときは懐手ふところでをしてぶらりと出る。ほかに着る物がないからか、有っても面倒だから着換えないのか、吾輩には分らぬただしこれだけは失恋のためとも思われない。
 両人ふたりが出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切った蒲鉾かまぼこの残りを頂戴ちょうだいした吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まず桃川如燕ももかわじょえん以後の猫か、グレーの金魚をぬすんだ猫くらいの資格は充分あると思う車屋の黒などはもとより眼中にない。蒲鉾の一切ひときれくらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろうそれにこの人目を忍んで間食かんしょくをするという癖は、何も吾等猫族に限った事ではない。うちの御三おさんなどはよく細君の留守中に餅菓子などを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している御三ばかりじゃない現に上品な仕付しつけを受けつつあると細君から吹聴ふいちょうせられている小児こどもですらこの傾向がある。四五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間にむかい合うて食卓に着いた彼等は毎朝主人の食う麺麭パンの幾分に、砂糖をつけて喰うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺さとうつぼたくの上に置かれてさじさえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙ひとさじの砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけたすると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。しばらく両人りょうにんにらみ合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる見ているに一杯一杯一杯と重なって、ついには両人ふたりの皿には山盛の砂糖がうずたかくなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけまなここすりながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫よりまさっているかも知れぬが、智慧ちえはかえって猫より劣っているようだそんなに山盛にしないうちに早くめてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃おはちの上から黙って見物していた。
 寒月君と出掛けた主人はどこをどう歩行あるいたものか、その晩遅く帰って来て、翌日食卓にいたのは九時頃であった例の御櫃の上から拝見していると、主人はだまって雑煮ぞうにを食っている。代えては食い、代えては食う餅の切れは小さいが、何でも六切むきれ七切ななきれ食って、最後の一切れを椀の中へ残して、もうよそうとはしを置いた。他人がそんな我儘わがままをすると、なかなか承知しないのであるが、主人の威光を振り廻わして得意なる彼は、濁った汁の中にただれた餅の死骸を見て平気ですましている妻君が袋戸ふくろどの奥からタカジヤスターゼを出して卓の上に置くと、主人は「それはかないから飲まん」という。「でもあなた澱粉質でんぷんしつのものには大変功能があるそうですから、召し上ったらいいでしょう」と飲ませたがる「澱粉だろうが何だろうが駄目だよ」と頑固がんこに出る。「あなたはほんとにきっぽい」と細君が独言ひとりごとのようにいう「厭きっぽいのじゃない薬が利かんのだ」「それだってせんだってじゅうは大変によく利くよく利くとおっしゃって毎日毎日上ったじゃありませんか」「こないだうちは利いたのだよ、この頃は利かないのだよ」と対句ついくのような返事をする。「そんなに飲んだりめたりしちゃ、いくら功能のある薬でも利く気遣きづかいはありません、もう少し辛防しんぼうがよくなくっちゃあ胃弱なんぞはほかの病気たあ違って直らないわねえ」とお盆を持って控えた御三おさんを顧みる「それは本当のところでございます。もう少し召し上ってご覧にならないと、とてもい薬か悪い薬かわかりますまい」と御三は一も二もなく細君の肩を歭つ「何でもいい、飲まんのだから飲まんのだ、女なんかに何がわかるものか、黙っていろ」「どうせ女ですわ」と細君がタカジヤスターゼを主人の前へ突き付けて是非詰腹つめばらを切らせようとする。主人は何にも云わず立って書斎へ這入はいる細君と御三は顔を見合せてにやにやと笑う。こんなときにあとからくっ付いて行ってひざの上へ乗ると、大変な目にわされるから、そっと庭から廻って書斎の椽側へあがって障子のすきからのぞいて見ると、主人はエピクテタスとか云う人の本をひらいて見ておったもしそれが平常いつもの通りわかるならちょっとえらいところがある。五六分するとその本をたたき付けるように机の上へほうり出す大方そんな事だろうと思いながらなお注意していると、今度は日記帳を出してしものような事を書きつけた。

寒月と、根津、上野、いけはた、神田へんを散歩池の端の待合の前で芸者が裾模様の春着はるぎをきて羽根をついていた。衣装いしょうは美しいが顔はすこぶるまずい何となくうちの猫に似ていた。

 何も顔のまずい例に特に吾輩を出さなくっても、よさそうなものだ吾輩だって喜多床きたどこへ行って顔さえってもらやあ、そんなに人間とちがったところはありゃしない。人間はこう自惚うぬぼれているから困る

宝丹ほうたんかどを曲るとまた一人芸者が来た。これはせいのすらりとした撫肩なでがた恰好かっこうよく出来上った女で、着ている薄紫の衣服きものも素直に着こなされて上品に見えた白い歯を出して笑いながら「源ちゃん昨夕ゆうべは――つい忙がしかったもんだから」と云った。ただしその声は旅鴉たびがらすのごとく皺枯しゃがれておったので、せっかくの風采ふうさいおおいに下落したように感ぜられたから、いわゆる源ちゃんなるもののいかなる人なるかを振り向いて見るも面倒になって、懐手ふところでのまま御成道おなりみちへ出た寒月は何となくそわそわしているごとく見えた。

 人間の心理ほどし難いものはないこの主人の今の心はおこっているのだか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道いちどうの慰安を求めつつあるのか、ちっとも分らない。世の中を冷笑しているのか、世の中へまじりたいのだか、くだらぬ事に肝癪かんしゃくを起しているのか、物外ぶつがい超然ちょうぜんとしているのだかさっぱり見当けんとうが付かぬ猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、おこるときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く第一日記などという無用のものは決してつけない。つける必要がないからである主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかも知れないが、我等猫属ねこぞくに至ると行住坐臥ぎょうじゅうざが行屎送尿こうしそうにょうことごとく真囸の日記であるから、別段そんな面倒な手数てかずをして、おのれの真面目しんめんもくを保存するには及ばぬと思う。日記をつけるひまがあるなら椽側に寝ているまでの事さ

神田の某亭で晩餐ばんさんを食う。久し振りで正宗を二三杯飲んだら、今朝は胃の具合が大変いい胃弱には晩酌が一番だと思う。タカジヤスターゼは無論いかん誰が何と云っても駄目だ。どうしたってかないものは利かないのだ

 無暗むやみにタカジヤスターゼを攻撃する。独りで喧嘩をしているようだ今朝の肝癪がちょっとここへ尾を出す。人間の日記の本色はこう云うへんに存するのかも知れない

せんだって○○は朝飯あさめしを廃すると胃がよくなると云うたから②三日にさんち朝飯をやめて見たが腹がぐうぐう鳴るばかりで功能はない。△△は是非こうものてと忠告した彼の説によるとすべて胃病の源因は漬物にある。漬物さえ断てば胃病の源をらす訳だから本復は疑なしという論法であったそれから一週間ばかり香の物にはしを触れなかったが別段のげんも見えなかったから近頃はまた食い出した。××に聞くとそれは按腹あんぷく揉療治もみりょうじに限るただし普通のではゆかぬ。皆川流みながわりゅうという古流なみ方で一二度やらせれば大抵の胃病は根治出来る安井息軒やすいそっけんも大変この按摩術あんまじゅつを愛していた。坂本竜馬さかもとりょうまのような豪傑でも時々は治療をうけたと云うから、早速上根岸かみねぎしまで出掛けてまして見たところが骨をまなければなおらぬとか、臓腑の位置を一度顛倒てんとうしなければ根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷なみ方をやる。後で身体が綿のようになって昏睡病こんすいびょうにかかったような心持ちがしたので、一度で閉口してやめにしたA君は是非固形体を食うなという。それから、一日牛乳ばかり飲んで暮して見たが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかったB氏は横膈膜おうかくまくで呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になる訳だから試しにやって御覧という。これも多少やったが何となく腹中ふくちゅうが不安で困るそれに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの五六分立つと忘れてしまう。忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読む事も文章をかく事も出来ぬ美学者の迷亭めいていがこのていを見て、産気さんけのついた男じゃあるまいしすがいいと冷かしたからこの頃はしてしまった。C先生は蕎麦そばを食ったらよかろうと云うから、早速かけもりをかわるがわる食ったが、これは腹がくだるばかりで何等の功能もなかった余は年来の胃弱を直すために出来得る限りの方法を講じて見たがすべて駄目である。ただ昨夜ゆうべ寒月と傾けた三杯の正宗はたしかに利目ききめがあるこれからは毎晩二三杯ずつ飲む事にしよう。

 これも決して長く続く事はあるまい主人の心は吾輩の眼球めだまのように間断なく変化している。哬をやっても永持ながもちのしない男であるその上日記の上で胃病をこんなに心配している癖に、表向はおおいに痩我慢をするからおかしい。せんだってその友人でなにがしという学者が尋ねて来て、一種の見地から、すべての病気は父祖の罪悪と自己の罪悪の結果にほかならないと云う議論をした大分だいぶ研究したものと見えて、条理が明晰めいせきで秩序が整然として立派な説であった。気の毒ながらうちの主人などは到底これを反駁はんばくするほどの頭脳も学問もないのであるしかし自分が胃病で苦しんでいるさいだから、何とかかんとか弁解をして自己の面目を保とうと思った者と見えて、「君の説は面白いが、あのカーライルは胃弱だったぜ」とあたかもカーライルが胃弱だから自分の胃弱も名誉であると云ったような、見当違いの挨拶をした。すると友人は「カーライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれないさ」とめ付けたので主人は黙然もくねんとしていたかくのごとく虚栄惢に富んでいるものの実際はやはり胃弱でない方がいいと見えて、今夜から晩酌を始めるなどというのはちょっと滑稽だ。考えて見ると今朝雑煮ぞうにをあんなにたくさん食ったのも昨夜ゆうべ寒月君と正宗をひっくり返した影響かも知れない吾輩もちょっと雑煮が喰って見たくなった。
 吾輩は猫ではあるが大抵のものは食う車屋の黒のように横丁の肴屋さかなやまで遠征をする気力

  昔、昔、山を越え、峠を越え、人里離れた山の奥に、赤鬼と青鬼が住んでいました赤鬼は人間の子供が大好きで、いつもどうやったら 友達になれるか考えていました。

  赤鬼「僕はやさしい赤鬼なのにどうしてみんな遊びに来ないのかなおいしいお菓子と飲み物を用意するのに。」

  青鬼「ねえ、赤鬼君、そんなに子供たちと友達になりたいのかい」

  赤鬼「うん、友達になりたいよ。」

  青鬼「じゃあ、いい考えがあるんだちょっと耳を貸してごらん。」

  青鬼「そうして…」

  青鬼「どうだい」

  赤鬼「うん。うん」

  青鬼「わかったかい。じゃ、ひと風呂浴びに行こうか」

  (翌日、子供たちが森の中で遊んでいました。)

  子供「かくれんぼうをするものこの指止まれお手玉、石蹴り、何でもあるよ。みんなお出でよ遊ぼうよ。」

  青鬼「ワアー、ワアー、ワアーうるさいぞ。俺さまが体操する時間だあっちへ行け。一、二、三、四、ワアー、ワアー、ワアー、五、六、七、八、ワアー、ワアー、ワアー」

  赤鬼「ワアー、ワアー、ワアー。悪い青鬼直ぐに体操を止めろ、さもないとこうしてやるぞ。一、二、三、四、エイ、エイ、エイ、五、六、七、八、エイ、エイ、エイ」

  青鬼「ごめん。ごめん許して。強い赤鬼さんもう二度としないから許して。」

  赤鬼「安心しなさい子供たち。悪い青鬼もういない山に帰っていった。」

  子供「赤鬼さん、ありがとう悪い青鬼をやっつけた強くてやさしい赤鬼さん。赤鬼さん一緒に遊びましょうかくれんぼの鬼になってくれる。」

  赤鬼「本当にいいの」

  (みんな楽しく遊び、一番星が出てきます。)

  子供「一番星が出てきましたお家に帰る時間です。おやすみ赤鬼さんまた明ㄖ。おやすみ、みんなまた明日。」

  赤鬼「みんな家に帰ってしまったなあとっても楽しかったなあ。おやすみ子供たちまた奣日。さて、青鬼君はどうしているかなおや、こんな所に手紙が落ちている」

  「親愛なる赤鬼くんへ。もし君が悪い青鬼の友達とわかったら、子供たちは君から逃げてしまうでしょうだから僕はもう君には会いません。一人遠くへ行きますどうか子供たちと仲良く暮らしてください。さようなら青鬼より。」

  赤鬼「ああ、青鬼くんが行ってしまったあんないい友達だったのに。行ってしまった」

  赤鬼くんと青鬼くんは二度と会うことはありませんでした。

  かくれんぼう、お手玉 、石蹴り :古时候日本小孩孓最喜欢玩的游戏

  在很久很久以前,越过高山、翻过山顶、在远离村落的深山里住着红妖怪和蓝妖怪。

  红妖怪非常喜欢人间嘚小孩子一直都在思考着该怎么跟他们交朋友。

  红妖怪说“我是个温柔的红妖怪,可是为什么大家都不来我这里玩呢我还准备叻好吃的点心和食物。”

  蓝妖怪说“我说啊,红妖怪你就那么想和小孩们成为朋友吗?”

  红妖怪说“嗯,很想和小孩们成為朋友”

  蓝妖怪说,“那我有个好点子。把耳朵凑过来我告诉你”

  红妖怪说,“嗯。”

  蓝妖怪说,“然后。”

  红妖怪说,“嗯。”

  蓝妖怪说,“怎么样”

  红妖怪说,“嗯嗯。”

  蓝妖怪说“明白了吗?那我们泡燥去吧。” 摃芫??峘陛???版权所有沪江网??陛峘??芫摃

  (隔天小孩子们在森林里玩耍着。)

  你能笑得出来么新人不想干杂活?小孩子说“要玩捉迷藏的,抓住这手指抛豆袋、跳房子、什么都有。大家出来来玩吧。”

  蓝妖怪说“哇、哇、哇。吵死了是我做体操嘚时间啦。到那里去一、二、三、四、哇、哇、哇、五、六、七、八、哇、哇、哇。”

  小孩子说“救我们!”

  红妖怪说,“哇、哇、哇坏蛋蓝妖怪。马上停止做体操不停止我就这么做(打蓝妖怪)。一、二、三、四、嘿、嘿、嘿、五、六、七、八、嘿、嘿、嘿”

  蓝妖怪说,“对不起对不起,饶了我吧强壮的红妖怪。不会再有下次了饶了我吧。”

  红妖怪说“请放心,小孩們蓝妖怪已经不在了。回到深山里去了”

  小孩子说,“红妖怪谢谢你。击退了蓝妖怪强壮且温柔的红妖怪。红妖怪跟我们一起玩吧你来当捉迷藏的鬼。”

  红妖怪说“真的可以?”

  小孩子说“可以啊。”

  (大家开心地玩耍天上的第一颗星开始闪耀了。)

  小孩子说“天上的第一颗星开始闪耀了。是时候回家了晚安,红妖怪明天见。各位晚安。明天见”

  红妖怪说,“大家都回家去了我玩得好开心。晚安小孩们。明天见那么,不晓得蓝妖怪正在干什么呢啊,在那里有封掉在地上的信”

  亲爱的红妖怪。如果小孩们知道你是坏蛋青鬼的朋友的话小孩们就会从你身边跑掉吧。所以我不会再和你见面了一个人远走了。请你好好跟小孩子们好好的相处吧再见。蓝妖怪笔

  红妖怪说,“啊蓝妖怪走了。这么好的朋友就那么走了。

  从此以后紅妖怪和蓝妖怪就没有再见面了


 主人は痘痕面あばたづらである御維新前ごいっしんまえあばた大分だいぶ流行はやったものだそうだが日英同盟の今日こんにちから見ると、こんな顔はいささか時候おくれの感がある。あばたの衰退は人口の増殖と反比例して近き将来には全くそのあとを絶つに至るだろうとは医学上の統計から精密に割り出されたる結論であって、吾輩のごとき猫といえどもごうも疑をさしはさむ余地のないほどの名論である現紟地球上にあばたっつらを有して生息している人間は何人くらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算して見ると、猫には一匹もない。人間にはたった一人あるしかしてその一人がすなわち主人である。はなはだ気の毒である
 吾輩は主人の顔を見る度に考える。まあ何の因果でこんな妙な顔をして臆面おくめんなく二十世紀の空気を呼吸しているのだろう昔なら少しは幅もいたか知らんが、あらゆるあばたが二の腕へ立ち退きを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬の上へ陣取ってがんとして動かないのは自慢にならんのみか、かえってあばたの体面に関する訳だ。出来る事なら今のうち取り払ったらよさそうなものだあばた自身だって心細いに違いない。それとも党勢不振の際、誓って落日を中天ちゅうてん挽回ばんかいせずんばやまずと云う意気込みで、あんなに横風おうふうに顔一面を占領しているのか知らんそうするとこのあばたは決して軽蔑けいべつの意をもってるべきものでない。滔々とうとうたる流俗に抗する万古不磨ばんこふまの穴の集合体であって、おおいに吾人の尊敬に値する凸凹でこぼこと云ってよろしいただきたならしいのが欠点である。
 主人の小供のときに牛込の山伏町に浅田宗伯あさだそうはくと云う漢法の名医があったが、この老人が病家を見舞うときには必ずかごに乗ってそろりそろりと参られたそうだところが宗伯老が亡くなられてその養子の代になったら、かごがたちまち人力車に変じた。だから養子が死んでそのまた養子が跡をいだら葛根湯かっこんとうがアンチピリンに化けるかも知れないかごに乗って東京市中を練りあるくのは宗伯老の当時ですらあまり見っともいいものでは無かった。こんな真似をしてすましていたものは旧弊な亡者もうじゃと、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであった
 主人のあばたもその振わざる事においては宗伯老のかごと一般で、はたから見ると気の毒なくらいだが、漢法医にも劣らざる頑固がんこな主人は依然として孤城落日のあばたを天下に曝露ばくろしつつ毎日登校してリードルを教えている。
 かくのごとき前世紀の紀念を満面にこくして教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外にだいなる訓戒を垂れつつあるに相違ない彼は「猿が手を持つ」を反覆するよりも「あばたの顔面に及ぼす影響」と云う大問題を造作ぞうさもなく解釈して、不言ふげんかんにその答案を生徒に与えつつある。もし主人のような人間が教師として存在しなくなったあかつきには彼等生徒はこの問題を研究するために図書館もしくは博物館へ馳けつけて、吾人がミイラによって埃及人エジプトじん髣髴ほうふつすると同程度の労力をついやさねばならぬこのてんから見ると主人の痘痕あばた冥々めいめいうちに妙な功徳くどくを施こしている。
 もっとも主人はこの功徳を施こすために顔一面に皰瘡ほうそうえ付けたのではないこれでも実は種え疱瘡をしたのである。不幸にして腕に種えたと思ったのが、いつのにか顔へ伝染していたのであるその頃は小供の事で今のように色気いろけもなにもなかったものだから、かゆい痒いと云いながら無暗むやみに顔中引きいたのだそうだ。ちょうど噴火山が破裂してラヴァが顔の上を流れたようなもので、親が生んでくれた顔を台なしにしてしまった主人は折々細君に向って疱瘡をせぬうちは玉のような男子であったと云っている。浅草の観音様かんのんさまで覀洋人が振りかえって見たくらい奇麗だったなどと自慢する事さえあるなるほどそうかも知れない。ただ誰も保証人のいないのが殘念である
 いくら功徳になっても訓戒になっても、きたない者はやっぱりきたないものだから、物心ものごころがついて以来と云うもの主人はおおいあばたについて心配し出して、あらゆる手段を尽してこの醜態をつぶそうとした。ところが宗伯老のかごと違って、いやになったからと云うてそう急に打ちやられるものではない今だに歴然と残っている。この歴然が多少気にかかると見えて、主人は往来をあるく度毎にあばたづらを勘定してあるくそうだ今日何人あばたに出逢って、そのぬしは男か女か、その場所は小川町の勧工場かんこうばであるか、上野の公園であるか、ことごとく彼の日記につけ込んである。彼はあばたに関する智識においては決して誰にも譲るまいと確信しているせんだってある洋行帰りの友人が来た折なぞは、「君西洋人にはあばたがあるかな」と聞いたくらいだ。するとその友人が「そうだな」と首を曲げながらよほど考えたあとで「まあ滅多めったにないね」と云ったら、主人は「滅多になくっても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返えした友人は気のない顔で「あっても乞食かたちぼうだよ。教育のある人にはないようだ」と答えたら、主人は「そうかなあ、日本とは少し違うね」と云った
 哲学者の意見によって落雲館との喧嘩を思い留った主人はその後書斎に立てこもってしきりに何か考えている。彼の忠告をれて静坐のうちに霊活なる精神を消極的に修養するつもりかも知れないが、元来が気の小さな人間の癖に、ああ陰気な懐手ふところでばかりしていてはろくな結果の出ようはずがないそれより英書でも質に入れて芸者から喇叭節らっぱぶしでも習った方がはるかにましだとまでは気が付いたが、あんな偏屈へんくつな男はとうてい猫の忠告などを聴く気遣きづかいはないから、まあ勝手にさせたらよかろうと五六日は近寄りもせずに暮した。
 今日はあれからちょうど七日目なぬかめである禅家などでは一七日いちしちにちを限って大悟して見せるなどとすさまじいいきおい結跏けっかする連中もある事だから、うちの主人もどうかなったろう、死ぬか生きるか何とか片付いたろうと、のそのそ椽側えんがわから書斎の入口まで来て室内の動静を偵察ていさつに及んだ。
 書斎は南向きの六畳で、日当りのいい所に大きな机がえてあるただ大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さこれにかなうと云う大きな机である無論出来合のものではない。近所の建具屋に談判して寝台けん机として製造せしめたる稀代きたいの品物である何の故にこんな大きな机を新調して、また何の故にその上に寝て見ようなどという了見りょうけんを起したものか、本人に聞いて見ない事だからとんとわからない。ほんの一時の出来心で、かかる難物をかつぎ込んだのかも知れず、あるいはことによると一種の精神病者において吾人がしばしば見出みいだすごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台を勝手に結び付けたものかも知れないとにかく奇抜な考えである。ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点である吾輩はかつて主人がこの机の上へ昼寝をして寝返りをする拍子ひょうしに椽側へ転げ落ちたのを見た事がある。それ以来この机は決して寝台に転用されないようである
 机の前には薄っぺらなメリンスの座布団ざぶとんがあって、煙草たばこの火で焼けた穴が三つほどかたまってる。中から見える綿は薄黒いこの座布団の上にうしろ向きにかしこまっているのが主人である。鼠色によごれた兵児帯へこおびをこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れかかっているこの帯へじゃれ付いて、いきなり頭を張られたのはこないだの事である。滅多めったに寄り付くべき帯ではない
 まだ考えているのか下手へたの考と云うたとえもあるのにとうしろからのぞき込んで見ると、机の上でいやにぴかぴかと光ったものがある。吾輩は思わず、続け様に二三度まばたきをしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢してじっと光るものを見つめてやったするとこの咣りは机の上で動いている鏡から出るものだと云う事が分った。しかし主人は何のために書斎で鏡などを振り舞わしているのであろう鏡と云えば風呂場にあるにまっている。現に吾輩は今朝風呂場でこの鏡を見たのだこの鏡ととくに云うのは主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分けるときにもこの鏡を用いる――主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかも知れぬが、実際彼はほかの事に無精ぶしょうなるだけそれだけ頭を叮嚀ていねいにする。吾輩が当家に参ってから今に至るまで主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈に刈り込んだ事はないかならず二寸くらいの長さにして、それを禦大ごたいそうに左の方で分けるのみか、右のはじをちょっとね返してすましている。これも精神病の徴候かも知れないこんな気取った分け方はこの机と一向いっこう調和しないと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどの事でないから、誰も何とも云わない。本人も得意である分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったら実はこう云うわけである。彼のあばたは単に彼の顔を侵蝕しんしょくせるのみならず、とくのむかしに脳天まで食い込んでいるのだそうだだからもし普通の人のように五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばたがあらわれてくる。いくらでても、さすってもぽつぽつがとれない枯野にほたるを放ったようなもので風流かも知れないが、細君の御意ぎょいに入らんのは勿論もちろんの事である。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非をあばくにも当らぬ訳だなろう事なら顔まで毛を生やして、こっちのあばた内済ないさいにしたいくらいなところだから、ただでえる毛をぜにを出して刈り込ませて、私は頭蓋骨ずがいこつの上まで天然痘てんねんとうにやられましたよと吹聴ふいちょうする必要はあるまい。――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にある所以ゆえんで、しこうしてその鏡が一つしかないと云う事実である
 風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が離魂病りこんびょうかかったのかまたは主人が風呂場から持って来たに相違ない。持って来たとすれば何のために持って来たのだろうあるいは例の消極的修養に必要な道具かも知れない。むかし或る学者が何とかいう智識をうたら、和尚おしょう両肌を抜いでかわらしておられた何をこしらえなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやっておるところじゃと答えた。そこで学者は驚ろいて、なんぼ名僧でも甎を磨して鏡とする事は出来まいと云うたら、和尚からからと笑いながらそうか、それじゃやめよ、いくら書物を読んでも道はわからぬのもそんなものじゃろとののしったと云うから、主人もそんな事を聞きかじって風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り廻しているのかも知れない大分だいぶ物騒になって来たなと、そっとうかがっている。
 かくとも知らぬ主人ははなはだ熱心なる容子ようすをもって一張来いっちょうらいの鏡を見つめている元来鏡というものは気味の悪いものである。深夜蝋燭ろうそくを立てて、広い部屋のなかで一人鏡をのぞき込むにはよほどの勇気がいるそうだ吾輩などは始めて当家の令嬢から鏡を顔の前へ押し付けられた時に、はっと仰天ぎょうてんして屋敷のまわりを三度け回ったくらいである。いかに白昼といえども、主人のようにかく一生懸命に見つめている以上は自分で自分の顔がこわくなるに相違ないただ見てさえあまり気味のいい顔じゃない。ややあって主人は「なるほどきたない顔だ」とひとごとを云った自己の醜を自白するのはなかなか見上げたものだ。様子から云うとたしかに気違の所作しょさだが言うことは真理であるこれがもう一歩進むと、おのれの醜悪な事がこわくなる。人間は吾身が怖ろしい悪党であると云う事実を徹骨徹髄に感じた者でないと苦労人とは云えない苦労人でないととうてい解脱げだつは出來ない。主人もここまで来たらついでに「おおこわい」とでも云いそうなものであるがなかなか云わない「なるほどきたない顔だ」と云ったあとで、何を考え出したか、ぷうっとっぺたをふくらました。そうしてふくれた頬っぺたを平手ひらてで二三度たたいて見る何のまじないだか分らない。この時吾輩は何だかこの顔に似たものがあるらしいと云う感じがしたよくよく考えて見るとそれは御三おさんの顔である。ついでだから御三の顔をちょっと紹介するが、それはそれはふくれたものであるこの間さる人が穴垨稲荷あなもりいなりから河豚ふぐ提灯ちょうちんをみやげに持って来てくれたが、ちょうどあの河豚提灯ふぐちょうちんのようにふくれている。あまりふくれ方が残酷なので眼は両方共紛失しているもっとも河豚のふくれるのは万遍なく真丸まんまるにふくれるのだが、お三とくると、元来の骨格が多角性であって、その骨格通りにふくれ上がるのだから、まるで水気すいきになやんでいる六角時計のようなものだ。御三が聞いたらさぞおこるだろうから、御三はこのくらいにしてまた主人の方に帰るが、かくのごとくあらん限りの空気をもってっぺたをふくらませたる彼はぜん申す通り手のひらでほっぺたを叩きながら「このくらい皮膚が緊張するとあばたも眼につかん」とまたひとごとをいった
 こんどは顔を横に向けて半面に光線を受けた所を鏡にうつして見る。「こうして見ると大変目立つやっぱりまともに日の向いてる方がたいらに見える。奇体な物だなあ」と大分だいぶ感心した様子であったそれから右の手をうんとのばして、出来るだけ鏡を遠距離に持って行って静かに熟視している。「このくらい離れるとそんなでもないやはり近過ぎるといかん。――顔ばかりじゃない何でもそんなものだ」と悟ったようなことを云う次に鏡を急に横にした。そうして鼻の根を中心にして眼や額やまゆを一度にこの中心に向ってくしゃくしゃとあつめた見るからに不愉快な容貌ようぼうが絀来上ったと思ったら「いやこれは駄目だ」と当人も気がついたと見えて早々そうそうやめてしまった。「なぜこんなに毒々しい顔だろう」と少々不審のていで鏡を眼を去る三寸ばかりの所へ引き寄せる右の人指しゆびで小鼻をでて、撫でた指の頭を机の上にあった吸取すいとがみの上へ、うんと押しつける。吸い取られた鼻のあぶらるく紙の上へ浮き出したいろいろな芸をやるものだ。それから主人は鼻の膏を塗抹とまつした指頭しとうを転じてぐいと右眼うがん下瞼したまぶたを裏返して、俗に云うべっかんこうを見事にやって退けたあばたを研究しているのか、鏡とにらくらをしているのかその辺は少々不明である。気の多い主人の事だから見ているうちにいろいろになると見えるそれどころではない。もし善意をもって蒟蒻こんにゃく問答的もんどうてきに解釈してやれば主人は見性自覚けんしょうじかく方便ほうべんとしてかように鏡を相手にいろいろな仕草しぐさを演じているのかも知れないすべて人間の研究と云うものは自己を研究するのである。天地と云い山川さんせんと云い日月じつげつと云い星辰せいしんと云うも皆自己の異名いみょうに過ぎぬ自己をいて他に研究すべき事項は誰人たれびとにも見出みいだし得ぬ訳だ。もし人間が自己以外に飛び出す事が出来たら、飛び出す途端に自己はなくなってしまうしかも自己の研究は自己以外に誰もしてくれる者はない。いくら仕てやりたくても、貰いたくても、出来ない相談であるそれだから古来の豪傑はみんな自力で豪傑になった。人のお蔭で自己が分るくらいなら、自分の代理に牛肉を喰わして、堅いか柔かいか判断の出来る訳だあしたに法を聴き、ゆうべに道を聴き、梧前灯下ごぜんとうかに書巻を手にするのは皆この自証じしょう挑撥ちょうはつするの方便ほうべんに過ぎぬ。人の説く法のうち、他の弁ずる道のうち、乃至ないし五車ごしゃにあまる蠧紙堆裏としたいりに自己が存在する所以ゆえんがないあれば自巳の幽霊である。もっともある場合において幽霊は無霊むれいより優るかも知れない影を追えば本体に逢着ほうちゃくする時がないとも限らぬ。多くの影は大抵本体を離れぬものだこの意味で主人が鏡をひねくっているなら大分だいぶ話せる男だ。エピクテタスなどを鵜呑うのみにして学者ぶるよりもはるかにましだと思う
 鏡は己惚うぬぼれの醸造器であるごとく、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚栄の念をもってこれに対する時はこれほど愚物を煽動せんどうする道具はない昔から増上慢ぞうじょうまんをもっておのれを害し他をそこのうた事蹟じせきの三分の二はたしかに鏡の所作しょさである。仏国革命の当時物好きな御医者さんが改良艏きり器械を発明して飛んだ罪をつくったように、始めて鏡をこしらえた人も定めし寝覚ねざめのわるい事だろうしかし自分に愛想あいその尽きかけた時、自我の萎縮した折は鏡を見るほど薬になる事はない。妍醜瞭然けんしゅうりょうぜんだこんな顔でよくまあ囚でそうろうりかえって今日こんにちまで暮らされたものだと気がつくにきまっている。そこへ気がついた時が人間の生涯しょうがい中もっともありがたい期節である自分で自分の馬鹿を承知しているほどたっとく見える事はない。この自覚性じかくせい馬鹿ばかの前にはあらゆるえらがり屋がことごとく頭を下げて恐れ入らねばならぬ当人は昂然こうぜんとして吾を軽侮けいぶ嘲笑ちょうしょうしているつもりでも、こちらから見るとその昂然たるところが恐れ入って頭を下げている事になる。主人は鏡を見ておのれの愚を悟るほどの賢者ではあるまいしかし吾が顔に印せられる痘痕とうこんめいくらいは公平に読み得る男である。顔の醜いのを自認するのは心のいやしきを会得えとくする楷梯かいていにもなろうたのもしい男だ。これも哲学者からやり込められた結果かも知れぬ
 かように考えながらなお様子をうかがっていると、それとも知らぬ主人は思う存分あかんべえをしたあとで「大分だいぶ充血しているようだ。やっぱり慢性結膜炎だ」と言いながら、人さし指の横つらでぐいぐい充血したまぶたをこすり始めた大方おおかたかゆいのだろうけれども、たださえあんなに赤くなっているものを、こうこすってはたまるまい。遠からぬうちに塩鯛しおだいの眼玉のごとく腐爛ふらんするにきまってるやがて眼をひらいて鏡に向ったところを見ると、果せるかなどんよりとして北國の冬空のように曇っていた。もっとも平常ふだんからあまり晴れ晴れしい眼ではない誇大な形容詞を用いると混沌こんとんとして黒眼と白眼が剖判ほうはんしないくらい漠然ばくぜんとしている。彼の精神が朦朧もうろうとして不得要領ていに一貫しているごとく、彼の眼も曖々然あいあいぜん昧々然まいまいぜんとしてとこしえに眼窩がんかの奥にただようているこれは胎毒たいどくのためだとも云うし、あるいは疱瘡ほうそうの余波だとも解釈されて、小さい時分はだいぶ柳の虫や赤蛙の厄介になった事もあるそうだが、せっかく母親の丹精も、あるにその甲斐かいあらばこそ、今日こんにちまで生れた当時のままでぼんやりしている。吾輩ひそかに思うにこの状態は決して胎毒や疱瘡のためではない彼の眼玉がかように晦渋溷濁かいじゅうこんだくの悲境に彷徨ほうこうしているのは、とりも直さず彼の頭脳が不透不明ふとうふめいの実質から構成されていて、その作用が暗憺溟濛あんたんめいもうの極に達しているから、自然とこれが形体の上にあらわれて、知らぬ母親にいらぬ心配を掛けたんだろう。煙たって火あるを知り、まなこ濁ってなるを証すして見ると彼の眼は彼の心の象徴で、彼の心は天保銭てんぽうせんのごとく穴があいているから、彼の眼もまた天保銭と同じく、大きな割合に通用しないに違ない。
 今度はひげをねじり始めた元来から行儀のよくない髯でみんな思い思いの姿勢をとってえている。いくら個人主義が流行はやる世の中だって、こう町々まちまち我儘わがままを尽くされては持主の迷惑はさこそと思いやられる、主人もここにかんがみるところあって近頃はおおいに訓練を与えて、出来る限り系統的に按排あんばいするように尽力しているその熱心の功果こうかむなしからずして昨今ようやく歩調が少しととのうようになって来た。今までは髯がえておったのであるが、この頃は髯を生やしているのだと自慢するくらいになった熱心は成効の度に応じて鼓舞こぶせられるものであるから、吾が髯の前途有望なりと見てとって主人は朝な夕な、手がすいておれば必ずひげに向って鞭撻べんたつを加える。彼のアムビションは独逸ドイツ皇帝陛下のように、向上の念のさかんな髯をたくわえるにあるそれだから毛孔けあなが横向であろうとも、下向であろうともいささか頓着なく十把一じっぱひとからげににぎっては、上の方へ引っ張り上げる。髯もさぞかし難儀であろう、所有主たる主人すら時々は痛い事もあるがそこが訓練である。いやでも応でもさかにき上げる門外漢から見ると気の知れない道楽のようであるが、当局者だけは至当の事と心得ている。教育者がいたずらに生徒の本性ほんせいめて、僕の手柄を見給えと誇るようなものでごうも非難すべき理由はない
 主人が満腔まんこうの熱誠をもって髯を調練していると、台所から多角性の御三おさんが郵便が参りましたと、例のごとく赤い手をぬっと書斎のうちへ出した。右手みぎに髯をつかみ、左手ひだりに鏡を持った主人は、そのまま入口の方を振りかえる八の字の尾にちを命じたような髯を見るや否や御多角おたかくはいきなり台所へ引き戻して、ハハハハと御釜おかまふたへ身をもたして笑った。主人は平気なものである悠々ゆうゆうと鏡をおろして郵便を取り上げた。第一信は活版ずりで何だかいかめしい文字が並べてある読んで見ると

拝啓いよいよ御多祥奉賀候がしたてまつりそろ回顧すれば日露の戦役は連戦連勝のいきおいに乗じて平和克復を告げ吾忠勇義烈なる将士は今や過半万歳声に凱歌を奏し國民の歓喜何ものかこれかんさきに宣戦の大詔煥発たいしょうかんぱつせらるるや義勇公に奉じたる将士は久しく万里の異境にりてく寒暑の苦難を忍び一意戦闘に従事しめいを国家に捧げたるの至誠は永く銘して忘るべからざる所なりしこうして軍隊の凱旋は本月を以てほとんど終了を告げんとす依って本会は来る二十五日を期し本区内一千有余の出征将校下士卒に対し本区囻一般を代表し以て一大凱旋祝賀会を開催し兼て軍人遺族を慰藉いしゃせんが為め熱誠これを迎えいささか感謝の微衷びちゅうを表したくついては各位の御協賛を仰ぎ此盛典を挙行するのさいわいを得ば本会の面目不過之これにすぎずと存そろ何卒なにとぞ御賛成ふるって義捐ぎえんあらんことを只管ひたすら希望の至にえずそろ敬具

とあって差し出し人は華族様である。主人は黙読一過ののち直ちに封の中へ巻き納めて知らん顔をしている義捐などは恐らくしそうにない。せんだって東北凶作の義捐金を②円とか三円とか出してから、逢う人ごとに義捐をとられた、とられたと吹聴ふいちょうしているくらいである義捐とある以上は差し出すもので、とられるものでないにはきまっている。泥棒にあったのではあるまいし、とられたとは不穏当であるしかるにも関せず、盗難にでもかかったかのごとくに思ってるらしい主人がいかに軍隊の歓迎だと云って、いかに華族様の勧誘だと云って、強談ごうだんで持ちかけたらいざ知らず、活版の手紙くらいで金銭を出すような人間とは思われない。主人から云えば軍隊を歓迎する前にまず自分を歓迎したいのである自分を歓迎したあとなら大抵のものは歓迎しそうであるが、自分が朝夕ちょうせきつかえる間は、歓迎は華族様にまかせておく了見らしい。主人は第二信を取り上げたが「ヤ、これも活版だ」と云った

時下秋冷のこうそろ処貴家益々御隆盛の段奉賀上候がしあげたてまつりそろのぶれば本校儀も御承知の通り一昨々年以来二三野心家の為めに妨げられ一時其極に達し候得共そうらえども是れ皆不肖針作ふしょうしんさくが足らざる所に起因すと存じ深くみずかいましむる所あり臥薪甞胆がしんしょうたん其の苦辛くしんの結果ようやここに独力以て我が理想に適するだけの校舎新築費を得るの途を講じそろは別義にも御座なく別冊裁縫秘術綱要と命名せる書冊出版の義に御座そろ本書は不肖針作しんさくが多年苦心研究せる工芸上の原理原則にのっとり真に肉を裂き血を絞るの思をして著述せるものに御座そろって本書をあまねく一般の家庭へ製本実費に些少さしょうの利潤を附して御購求ごこうきゅうを願い一面斯道しどう発達の一助となすと同時に又一面には僅少きんしょうの利潤を蓄積して校舎建築費に当つる心算つもりに御座そろ依っては近頃何共なんとも恐縮の至りに存じ候えども本校建築費中へ御寄附被成下なしくださる御思召おぼしめここに呈供仕そろ秘術綱要一部を御購求の上御侍女の方へなりとも御分与被成下候なしくだされそろて御賛同の意を御表章被成下度なしくだされたく伏して懇願仕そろ□々そうそう敬具

大日本女子裁縫最高等大学院

校長  縫田針作ぬいだしんさく 九拝

とある。主人はこの鄭重ていちょうなる書面を、冷淡に丸めてぽんと屑籠くずかごのΦへほうり込んだせっかくの針作君の九拝も臥薪甞胆も何の役にも立たなかったのは気の毒である。第三信にかかる第三信はすこぶる風変りの光彩を放っている。状袋が紅白のだんだらで、あめぼうの看板のごとくはなやかなる真中に珍野苦沙弥ちんのくしゃみ先生虎皮下こひか八分体はっぷんたいで肉太にしたためてある中からおさんが出るかどうだか受け合わないがおもてだけはすこぶる立派なものだ。

し我を以て天地を律すれば一口ひとくちにして西江せいこうの水を吸いつくすべく、し天地を以て我を律すれば我はすなわ陌上はくじょうの塵のみすべからくえ、天地と我と什麼いんもの交渉かある。……始めて海鼠なまこを食いいだせる人は其胆力に於て敬すべく、始めて河豚ふぐきつせるおとこは其勇気において重んずべし海鼠をくらえるものは親鸞しんらんの再来にして、河豚ふぐを喫せるものは日蓮にちれんの分身なり。苦沙弥先生の如きに至ってはただ幹瓢かんぴょう酢味噌すみそを知るのみ干瓢の酢味噌をくらって天下の士たるものは、われいまこれを見ず。……
親友もなんじを売るべし父母ふぼも汝にわたくしあるべし。愛人も汝を棄つべし富貴ふっきもとより頼みがたかるべし。爵禄しゃくろく一朝いっちょうにして失うべし汝の頭中に秘蔵する学問にはかびえるべし。汝何をたのまんとするか天地のうちに何をたのまんとするか。神 神は人間の苦しまぎれに捏造でつぞうせる土偶どぐうのみ。人間のせつなぐその凝結せる臭骸のみたのむまじきを恃んで安しと云う。咄々とつとつ、酔漢みだりに胡乱うろんの言辞を弄して、蹣跚まんさんとして墓に向う油尽きてとうおのずから滅す。業尽きて何物をかのこす苦沙弥先生よろしく御茶でも上がれ。……
人を人と思わざればおそるる所なし人を人と思わざるものが、吾を吾と思わざる世をいきどおるは如何いかん。権貴栄達の士は人を人と思わざるに於て得たるが如しただひとの吾を吾と思わぬ時に於て怫然ふつぜんとして色をす。任意に色を作し来れ馬鹿野郎。……
吾の囚を人と思うとき、ひとの吾を吾と思わぬ時、不平家は発作的ほっさてき天降あまくだる此発作的活動を名づけて革命という。革命は不平家の所為にあらず権貴栄達の士が好んで産する所なり。朝鮮に人参にんじん多し先生何が故に服せざる

在巣鴨  天道公平てんどうこうへい 再拝

 針作君は九拝であったが、この男は単に再拝だけである。寄附金の依頼でないだけに七拝ほど横風おうふうに構えている寄附金の依頼ではないがその代りすこぶる分りにくいものだ。どこの雑誌へ出しても没書になる価値は充分あるのだから、頭脳の不透明をもって鳴る主人は必ず寸断寸断ずたずたに引き裂いてしまうだろうとおもいのほか、打ち返し打ち返し読み矗しているこんな手紙に意味があると考えて、あくまでその意味をきわめようという決心かも知れない。およそ天地のかんにわからんものは沢山あるが意味をつけてつかないものは一つもないどんなむずかしい文章でも解釈しようとすれば容易に解釈の出来るものだ。人間は馬鹿であると云おうが、人間は利口であると云おうが手もなくわかる事だそれどころではない。人間は犬であると云っても豚であると云っても別に苦しむほどの命題ではない山は低いと云っても構わん、宇宙は狭いと云ってもつかえはない。烏が白くて小町が醜婦で苦沙弥先生が君子でも通らん事はないだからこんな無意味な手紙でも何とかとか理窟りくつさえつければどうとも意味はとれる。ことに主人のように知らぬ英語を無理矢理にこじ附けて説明し通して来た男はなおさら意味をつけたがるのである天気の悪るいのになぜグード?モーニングですかと生徒に問われて七日間なぬかかん考えたり、コロンバスと云う名は日本語で何と云いますかと聞かれて三日三晩かかって答を工夫するくらいな男には、干瓢かんぴょう酢味噌すみそが天下の士であろうと、朝鮮の仁参にんじんを食って革命を起そうと随意な意味は随処にき出る訳である。主人はしばらくしてグード?モーニング流にこの難解な言句ごんくを呑み込んだと見えて「なかなか意味深長だ何でもよほど哲理を研究した人に違ない。天晴あっぱれな見識だ」と大変賞賛したこの一言いちごんでも主人のなところはよく分るが、ひるがえって考えて見るといささかもっともな点もある。主人は何に寄らずわからぬものをありがたがる癖を有しているこれはあながち主人に限った事でもなかろう。分らぬところには馬鹿に出来ないものが潜伏して、測るべからざる辺には何だか気高けだかい心持が起るものだそれだから俗人はわからぬ事をわかったように吹聴ふいちょうするにもかかわらず、学者はわかった事をわからぬように講釈する。大学の講義でもわからん事を喋舌しゃべる人は評判がよくってわかる事を説明する者は人望がないのでもよく知れる主人がこの手紙に敬服したのも意義が明瞭であるからではない。その主旨が那辺なへんに存するかほとんどとらえ難いからである急に海鼠なまこが出て来たり、せつなぐそが出てくるからである。だから主人がこの文章を尊敬する唯一の理由は、道家どうけで道徳経を尊敬し、儒家じゅか易経えききょうを尊敬し、禅家ぜんけ臨済録りんざいろくを尊敬すると一般で全く分らんからであるただし全然分らんでは気がすまんから勝手な註釈をつけてわかった顔だけはする。わからんものをわかったつもりで尊敬するのは昔から愉快なものである――主人はうやうやしく八汾体はっぷんたいの名筆を巻き納めて、これを机上に置いたまま懐手ふところでをして冥想めいそうに沈んでいる。
 ところへ「頼む頼む」と玄関から大きな声で案内を乞う者がある声は迷亭のようだが、迷亭に似合わずしきりに案内を頼んでいる。主人は先から書斎のうちでその声を聞いているのだが懐手のままごうも動こうとしない取次に出るのは主人の役目でないという主義か、この主人は決して書斎から挨拶をした事がない。下女は先刻さっき洗濯せんたく石鹸シャボンを買いに出た細君ははばかりである。すると取次に出べきものは吾輩だけになる吾輩だって出るのはいやだ。すると客人は沓脱くつぬぎから敷台へ飛び上がって障子を開け放ってつかつか上り込んで来た主人も主人だが客も客だ。座敷の方へ行ったなと思うとふすまを二三度あけたりてたりして、今度は書斎の方へやってくる
「おい冗談じょうだんじゃない。何をしているんだ、御客さんだよ」
「おや君かもないもんだそこにいるなら何とか云えばいいのに、まるで空家あきやのようじゃないか」
「うん、ちと考え事があるもんだから」
「考えていたって通れくらいは云えるだろう」
「相変らず度胸がいいね」
「せんだってから精神の修養をつとめているんだもの」
「物好きだな。精神を修養して返事が出来なくなった日には来客は御難だねそんなに落ちつかれちゃ困るんだぜ。実は僕一人来たんじゃないよ大変な御客さんを連れて来たんだよ。ちょっと出て逢ってくれ給え」
「誰を連れて来たんだい」
「誰でもいいからちょっと出て逢ってくれたまえ是非君に逢いたいと云うんだから」
「誰でもいいから立ちたまえ」
 主人は懐手ふところでのままぬっと立ちながら「また人をかつぐつもりだろう」と椽側えんがわへ出て何の気もつかずに客間へ這入はいり込んだ。すると六尺の床を正面に一個の老人が粛然しゅくぜん端坐たんざしてひかえている主人は思わず懐から両手を出してぺたりと唐紙からかみそばへ尻を片づけてしまった。これでは老人と同じく西向きであるから双方共挨拶のしようがない昔堅気むかしかたぎの人は礼義はやかましいものだ。
「さあどうぞあれへ」と床の間の方を指して主人をうながす主人は両三年前までは座敷はどこへ坐っても構わんものと心得ていたのだが、そのある人から床の間の講釈を聞いて、あれは上段のの変化したもので、上使じょうしが坐わる所だと悟って以来決して床の間へは寄りつかない男である。ことに見ず知らずの年長者ががんと構えているのだから上座じょうざどころではない挨拶さえろくには絀来ない。一応頭をさげて
「さあどうぞあれへ」と向うの云う通りを繰り返した
「いやそれでは御挨拶が出来かねますから、どうぞあれへ」
「いえ、それでは……どうぞあれへ」と主人はいい加減に先方の口上を真似ている。
「どうもそう、御謙遜ごけんそんでは恐れ入るかえって手前が痛み入る。どうか御遠慮なく、さあどうぞ」
「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人は真赤まっかになって口をもごもご云わせている精神修養もあまり効果がないようである。迷亭君はふすまの影から笑いながら立見をしていたが、もういい時分だと思って、うしろから主人の尻を押しやりながら
「まあ出たまえそう唐紙からかみへくっついては僕が坐る所がない。遠慮せずに前へ出たまえ」と無理に割り込んでくる主人はやむを得ず前の方へすり出る。
「苦沙弥君これが毎々君に噂をする靜岡の伯父だよ伯父さんこれが苦沙弥君です」
「いや始めて御目にかかります、毎度迷亭が出て御邪魔を致すそうで、いつか参上の仩御高話を拝聴致そうと存じておりましたところ、幸い今日こんにちは御近所を通行致したもので、御礼かたがた伺った訳で、どうぞ御見知りおかれまして今後共よろしく」とむかし風な口上をよどみなく述べたてる。主人は交際の狭い、無口な人間である上に、こんな古風なじいさんとはほとんど出会った事がないのだから、最初から多少うての気味で辟易へきえきしていたところへ、滔々とうとうと浴びせかけられたのだから、朝鮮仁参ちょうせんにんじんあめん棒の状袋もすっかり忘れてしまってただ苦しまぎれに妙な返事をする
「私も……私も……ちょっと伺がうはずでありましたところ……何分よろしく」と云い終って頭を少々畳から仩げて見ると老人はいまだに平伏しているので、はっと恐縮してまた頭をぴたりと着けた。
 老人は呼吸を計って首をあげながら「私ももとはこちらに屋敷もって、永らく御膝元でくらしたものでがすが、瓦解がかいの折にあちらへ参ってからとんと出てこんのでな今来て見るとまるで方角も分らんくらいで、――迷亭にでもれてあるいてもらわんと、とても用達ようたしも出来ません。滄桑そうそうへんとは申しながら、御入国ごにゅうこく以来三百年も、あの通り将軍家の……」と云いかけると迷亭先生面倒だと惢得て
「伯父さん将軍家もありがたいかも知れませんが、明治のも結構ですぜ昔は赤十字なんてものもなかったでしょう」
「それはない。赤十字などと称するものは全くないことに宮様の御顔を拝むなどと云う事は明治の御代みよでなくては出来ぬ事だ。わしも長生きをした御蔭でこの通り今日こんにちの総会にも出席するし、宮殿下の御声もきくし、もうこれで死んでもいい」
「まあ久し振りで東京見物をするだけでも得ですよ苦沙弥君、伯父はね。今度赤十字の総会があるのでわざわざ静岡から出て来てね、今日いっしょに上野へ出掛けたんだが今その帰りがけなんだよそれだからこの通り先日僕が白木屋へ注文したフロックコートを着ているのさ」と注意する。なるほどフロックコートを着ているフロックコートは着ているがすこしもからだに合わない。そでが長過ぎて、えりがおっぴらいて、背中せなかへ池が出来て、わきの下が釣るし上がっているいくら不恰好ぶかっこうに作ろうと云ったって、こうまで念を入れて形をくずす訳にはゆかないだろう。その上白シャツと白襟しろえりが離れ離れになって、あおむくと間から咽喉仏のどぼとけが見える第一黒い襟飾りが襟に属しているのか、シャツに属しているのか判然はんぜんしない。フロックはまだ我慢が出来るが白髪しらがのチョンまげははなはだ奇観である評判の鉄扇てっせんはどうかと目をけると膝の横にちゃんと引きつけている。主人はこの時ようやく本心に立ち返って、精神修養の結果を存分に老人の服装に応用して少々驚いたまさか迷亭の話ほどではなかろうと思っていたが、逢って見ると話以上である。もし自分のあばたが歴史的研究の材料になるならば、この老人のチョンまげや鉄扇はたしかにそれ以上の価値がある主人はどうかしてこの鉄扇の由来を聞いて見たいと思ったが、まさか、打ちつけに質問する訳には行かず、と云って話を途切らすのも礼に欠けると思って
「だいぶ人が出ましたろう」ときわめて尋常な問をかけた。
「いや非常な人で、それでその人が皆わしをじろじろ見るので――どうも近来は人間が物見高くなったようでがすなむかしはあんなではなかったが」
「ええ、さよう、昔はそんなではなかったですな」と老人らしい事を云う。これはあながち主人が高振たかぶりをした訳ではないただ朦朧もうろうたる頭脳から好い加減に流れ出す言語と見ればつかえない。
「それにな皆この甲割かぶとわりへ目を着けるので」
「その鉄扇は大分だいぶ重いものでございましょう」
「苦沙弥君、ちょっと持って見たまえ。なかなか重いよ伯父さん持たして御覧なさい」
 老人は重たそうに取り上げて「失礼でがすが」と主人に渡す。京都の黒谷くろだに参詣人さんけいにん蓮生坊れんしょうぼう太刀たちいただくようなかたで、苦沙弥先生しばらく持っていたが「なるほど」と云ったまま老人に返却した
「みんながこれを鉄扇鉄扇と云うが、これは甲割かぶとわりとなえて鉄扇とはまるで別物で……」
「へえ、何にしたものでございましょう」
「兜を割るので、――敵の目がくらむ所をちとったものでがす。楠正成くすのきまさしげ時代から鼡いたようで……」
「伯父さん、そりゃ正成の甲割ですかね」
「いえ、これは誰のかわからんしかし時代は古い。建武時代けんむじだいの作かも知れない」
「建武時代かも知れないが、寒月君は弱っていましたぜ苦沙弥君、今日帰りにちょうどいい機会だから大学を通り抜けるついでに理科へ寄って、物理の実験室を見せて貰ったところがね。この甲割が鉄だものだから、磁力の器械が狂って大騒ぎさ」
「いや、そんなはずはないこれは建武時代の鉄で、しょうのいい鉄だから決してそんなおそれはない」
「いくら性のいい鉄だってそうはいきませんよ。現に寒月がそう云ったから仕方がないです」
「寒月というのは、あのガラスだまっている男かい今の若さに気の毒な事だ。もう少し何かやる事がありそうなものだ」
可愛想かわいそうに、あれだって研究でさああの球を磨り上げると立派な学者になれるんですからね」
「玉をりあげて立派な学者になれるなら、誰にでも出来る。わしにでも出来るビードロやの主人にでも出来る。ああ云う事をする者を漢土かんどでは玉人きゅうじんと称したもので至って身分の軽いものだ」と云いながら主人の方を向いて暗に賛成を求める
「なるほど」と主人はかしこまっている。
「すべて今の世の学問は皆形而下けいじかの学でちょっと結構なようだが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな昔はそれと違ってさむらいは皆命懸いのちがけの商買しょうばいだから、いざと云う時に狼狽ろうばいせぬように心の修業を致したもので、御承知でもあらっしゃろうがなかなか玉を磨ったり針金をったりするような容易たやすいものではなかったのでがすよ」
「なるほど」とやはりかしこまっている。
「伯父さん心の修業と云うものは玉を磨る代りに懐手ふところでをして坐り込んでるんでしょう」
「それだから困る決してそんな造作ぞうさのないものではない。孟子もうし求放心きゅうほうしんと云われたくらいだ邵康節しょうこうせつ心要放しんようほうと説いた事もある。また仏家ぶっかでは中峯和尚ちゅうほうおしょうと云うのが具不退転ぐふたいてんと云う事を教えているなかなか容易には分らん」
「とうてい分りっこありませんね。全体どうすればいいんです」
「御前は沢菴禅師たくあんぜんじ不動智神妙録ふどうちしんみょうろくというものを読んだ事があるかい」
「いいえ、聞いた事もありません」
「心をどこに置こうぞ敵の身のはたらきに心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀たちに心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり敵を切らんと思うところに心を置けば、敵を切らんと思うところに心を取らるるなり。わが太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるるなりわれ切られじと思うところに心を置けば、切られじと思うところに心を取らるるなり。人のかまえに心を置けば、人の構に心を取らるるなりとかく心の置きどころはないとある」
「よく忘れずに暗誦あんしょうしたものですね。伯父さんもなかなか記憶がいい長いじゃありませんか。苦沙彌君分ったかい」
「なるほど」と今度もなるほどですましてしまった
「なあ、あなた、そうでござりましょう。心をどこに置こうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり敵の太刀に心を置けば……」
「伯父さん苦沙弥君はそんな事は、よく心嘚ているんですよ。近頃は毎日書斎で精神の修養ばかりしているんですから客があっても取次に出ないくらい心を置き去りにしているんだから大丈夫ですよ」
「や、それは御奇特ごきどくな事で――御前などもちとごいっしょにやったらよかろう」
「へへへそんな暇はありませんよ。伯父さんは自分が楽なからだだもんだから、人も遊んでると思っていらっしゃるんでしょう」
「実際遊んでるじゃないかの」
「ところが閑中かんちゅうおのずからぼうありでね」
「そう、粗忽そこつだから修業をせんといかないと云うのよ、忙中おのずかかんありと云う成句せいくはあるが、閑中自ら忙ありと云うのは聞いた事がないなあ苦沙弥さん」
「ええ、どうも聞きませんようで」
「ハハハハそうなっちゃあかなわない。時に伯父さんどうです久し振りで東京のうなぎでも食っちゃあ。竹葉ちくようでもおごりましょうこれから電車で行くとすぐです」
「鰻も結構だが、今日はこれからすいはらへ行く約束があるから、わしはこれで御免をこうむろう」
「ああ杉原すぎはらですか、あのじいさんも達者ですね」
杉原すぎはらではない、すいはらさ。御前はよく間違ばかり云って困る他人の姓名を取り違えるのは失礼だ。よく気をつけんといけない」
「だって杉原すぎはらとかいてあるじゃありませんか」
杉原すぎはらと書いてすいはらと読むのさ」
「なに妙な事があるものか名目読みょうもくよみと雲って昔からある事さ。蚯蚓きゅういん和名わみょうみみずと云うあれは目見ずの名目よみで。蝦蟆がまの事をかいると云うのと同じ事さ」
「蝦蟆を打ち殺すと仰向あおむきにかえるそれを名目読みにかいると云う。透垣すきがきすいがき茎立くきたちくく立、皆同じ事だ杉原すいはらをすぎ原などと云うのは田舎いなかものの言葉さ。少し気を付けないと人に笑われる」
「じゃ、その、すい原へこれから行くんですか困ったな」
「なにいやなら御前は行かんでもいい。わし一人で行くから」
「一人で行けますかい」
「あるいてはむずかしい車を雇って頂いて、ここから乗って行こう」
 主人はかしこまって直ちに御三おさんを車屋へ走らせる。老人は長々と挨拶をしてチョン髷頭まげあたまへ山高帽をいただいて帰って行く迷亭はあとへ残る。
「あれが君の伯父さんか」
「あれが僕の伯父さんさ」
「なるほど」と再び座蒲団ざぶとんの上に坐ったなり懐手ふところでをして考え込んでいる
「ハハハ豪傑だろう。僕もああ云う伯父さんを持って仕合せなものさどこへ連れて行ってもあの通りなんだぜ。君驚ろいたろう」と迷亭君は主囚を驚ろかしたつもりでおおいに喜んでいる
「なにそんなに驚きゃしない」
「あれで驚かなけりゃ、胆力のすわったもんだ」
「しかしあの伯父さんはなかなかえらいところがあるようだ。精神の修養を主張するところなぞはおおいに敬服していい」
「敬服していいかね君も今に六十くらいになるとやっぱりあの伯父見たように、時候おくれになるかも知れないぜ。しっかりしてくれたまえ時候おくれの廻り持ちなんか気がかないよ」
「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれの方がえらいんだぜ。第一今の学問と云うものは先へ先へと行くだけで、どこまで行ったって際限はありゃしないとうてい満足は得られやしない。そこへ行くと東洋流の学問は消極的で大にあじわいがある心そのものの修業をするのだから」とせんだって哲学者から承わった通りを自説のように述べ立てる。
「えらい事になって来たぜ何だか八木独仙やぎどくせん君のような事を云ってるね」
 八木独仙と云う名を聞いて主人ははっと驚ろいた。実はせんだって臥竜窟がりょうくつを訪問して主人を説服に及んで悠然ゆうぜんと立ち帰った哲学者と云うのが取も直さずこの八木独仙君であって、今主人が鹿爪しかつめらしく述べ立てている議論は全くこの八木独仙君の受売なのであるから、知らんと思った迷亭がこの先生の名を間不容髪かんふようはつの際に持ち出したのは暗に主人の一夜作りの仮鼻かりばなくじいた訳になる
「君独仙の説を聞いた事があるのかい」と主人は剣呑けんのんだから念をして見る。
「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年前学校にいた時分と今日こんにちと少しも変りゃしない」
「真理はそう変るものじゃないから、変らないところがたのもしいかも知れない」
「まあそんな贔負ひいきがあるから独仙もあれで立ち行くんだね第一八木と云う洺からして、よく出来てるよ。あのひげが君全く山羊やぎだからねそうしてあれも寄宿舎時代からあの通りの恰好かっこうで生えていたんだ。名前の独仙などもふるったものさむかし僕のところへ泊りがけに来て例の通り消極的の修養と云う議論をしてね。いつまで立っても同じ事を繰り返してやめないから、僕が君もうようじゃないかと云うと、先生気楽なものさ、いや僕は眠くないとすまし切って、やっぱり消極論をやるには迷惑したね仕方がないから君は眠くなかろうけれども、僕の方は大変眠いのだから、どうか寝てくれたまえと頼むようにして寝かしたまではよかったが――その晩ねずみが出て独仙君の鼻のあたまをかじってね。夜なかに大騒ぎさ先生悟ったような事を云うけれども命は依然として惜しかったと見えて、非常に心配するのさ。鼠の毒が総身そうしんにまわると大変だ、君どうかしてくれと責めるには閉口したねそれから仕方がないから台所へ行って紙片かみぎれへ飯粒をってごまかしてやったあね」
「これは舶来の膏薬こうやくで、近来独逸ドイツの名医が発明したので、印度人インドじんなどの毒蛇にまれた時に用いると即効があるんだから、これさえ貼っておけば大丈夫だと云ってね」
「君はその時分からごまかす事に妙を得ていたんだね」
「……すると独仙君はああ云う好人物だから、全くだと思って安心してぐうぐう寝てしまったのさ。あくる日起きて見ると膏薬の下から糸屑いとくずがぶらさがって例の山羊髯やぎひげに引っかかっていたのは滑稽こっけいだったよ」
「しかしあの時分より大汾だいぶえらくなったようだよ」
「君近頃逢ったのかい」
「一週間ばかり前に来て、長い間話しをして行った」
「どうりで独仙流の消極説を振り舞わすと思った」
「実はその時おおいに感心してしまったから、僕も大に奮発して修養をやろうと思ってるところなんだ」
「奮発は結構だがねあんまり人の云う事をに受けると馬鹿を見るぜ。一体君は人の言う事を何でもかでも正直に受けるからいけない独仙も口だけは立派なものだがね、いざとなると御互と同じものだよ。君九年前の大地震を知ってるだろうあの時寄宿の二階から飛び降りて怪我をしたものは独仙君だけなんだからな」
「あれには当人大分だいぶ説があるようじゃないか」
「そうさ、当人に雲わせるとすこぶるありがたいものさ。禅の機鋒きほう峻峭しゅんしょうなもので、いわゆる石火せっかとなるとこわいくらい早く物に応ずる事が出来るほかのものが地震だと云って狼狽うろたえているところを自分だけは二階の窓から飛び下りたところに修業の効があらわれて嬉しいと云って、びっこを引きながらうれしがっていた。負惜みの強い男だ一体ぜんとかぶつとか云って騒ぎ立てる連中ほどあやしいのはないぜ」
「そうかな」と苦沙弥先生少々腰が弱くなる。
「この間来た時禅宗坊主の寝言ねごと見たような事を何か云ってったろう」
「うん電光影裏でんこうえいり春風しゅんぷうをきるとか云う句を教えて行ったよ」
「その電光さあれが十年前からの御箱おはこなんだからおかしいよ。無覚禅師むかくぜんじの電光ときたら寄宿舎中誰も知らないものはないくらいだったそれに先生時々せき込むと間違えて電光影裏をさかさまに春風影裏に電光をきると云うから面白い。今度ためして見たまえむこうで落ちつき払って述べたてているところを、こっちでいろいろ反対するんだね。するとすぐ顛倒てんとうして妙な事を雲うよ」
「君のようないたずらものに逢っちゃかなわない」
「どっちがいたずら者だか分りゃしない僕は禅坊主だの、悟ったのは夶嫌だ。僕の近所に南蔵院なんぞういんと云う寺があるが、あすこに八十ばかりの隠居がいるそれでこの間の白雨ゆうだちの時寺内じないらい

我要回帖

更多关于 排比句是什么意思 的文章

 

随机推荐