坐标算出重要不必要要な思い出を、おれには要らんの残した。ユ0ナ2

  広瀬が|喧《やかま》しい目覚ましの音で目を覚ますと、すでに高里は起きて|窓際《まどぎわ》に|座《すわ》っていたぼんやりと窓の外のコンクリートを|眺《なが》めている。「おはよう……」広瀬が声をかけると、おはようございます、と言って|微笑《わら》う「早起きだな。いつ起きたんだ」「ついさっきです」ひどく身体が重かった。ようよう身体を起こす「眠れたか?」起き上がりながら聞くと、はい、とうなずく「他人の家って、|寝《ね》にくいだろ」そういうと高里は首をかしげるようにして、「むしろ家よりは寝やすかったです」「そうか?」「海鳴りが聞こえるんですね」広瀬がうなずくと高里は微笑う「あれを聞いてるうちに寝てしまいました」そうか、と言って広瀬は顔を洗いに立つ。|靄《もや》がかかったような頭で、昨夜の出来事が|夢《ゆめ》かどうかを判定していた──夢ではない。タオルで顔を|拭《ぬぐ》いながら結論づけて六|畳《じょう》に|戻《もど》ると、高里が|布団《ふとん》をしまい終えていた「悪いな」「いえ」高里はそう微笑って、|鴨居《かもい》にハンガーで|吊《つる》してある制服に手を|伸《の》ばす。「高里」広瀬が声をかけると、その手を止めて振り向いた「まだ学校へは行かない方がいいと思う」高里はじっと広瀬を見返す。広瀬は苦笑して見せた「|馬鹿者《ばかもの》どもが落ち着くまで待った方がいい」生徒達の興奮は一応あれで静まったろうとは思う。岩木の|無惨《むざん》な死と、その死に|関与《かんよ》させられた|恨《うら》み単なる事故なら悪い|噂《うわさ》がひとつ加わるだけで済んだのだろうが、同級生を殺してしまったという|衝撃《しょうげき》が彼らを暴走させたのだと思う。高里を吊し上げて、それで一応気が済んだはずだ一晩を過ぎて頭を冷やす時間は|充分《じゅうぶん》にあったはずだと思う。自分たちの行動の|是非《ぜひ》を考える時間がたっぷりあったはずだ──それが|怖《こわ》いと思う。彼らは思い出したに違いない高裏に危害を加えれば報復がある。窓から|突《つ》き落とした彼らが看過されるはずのないことに思い至っているはずだ意図を察したのか高里はうなずく。うなずきながら小さく息を落とした
  校門の前には二、三人のマスコミ関係者らしき人間が|彷徨《うろつ》いていたが、昨日に|較《くら》べるとすっかり減ってしまったといってよかった。始業にはずいぶん時間があった登校時間には少し早い構内は|閑散《かんさん》としていた。毎朝職員室で行われる朝礼は、いつもより三十分早く始まった運営委員会の面々は|濃《こ》い|疲労《ひろい》の色を浮かべている。生徒の不安を静めて一日も早く学校内の|秩序《ちつじょ》を回復すること、┅昨日の事故については当事者の過失による事故だと決着がついているのだから無責任な噂を流さないこと、等のことが校長から厳しく言い|渡《わた》された広瀬の教育実習は明後日で|終了《しゅうりょう》する。明日の金曜と翌日の土曜には予定通り、研究発表が行われることになった職員会議の後で教生たちは|控《ひか》え室に集められ、実習が終わっても無責任な発言をしないよう、厳重な通達があった。それを終えて準備室に戻る|途中《とちゅう》、事務室の前で職員に呼び止められた「広瀬先生ですよね」中姩を過ぎた女子職員だった。|頬骨《ほおぼね》の高い顔に強い|困惑《こんわく》の表情を浮かべていた「これを後藤先生に渡していただけますか。欠席の届けです」二年生の担任はミーティングの最中だった広瀬はうなずいてメモを受け取る。小さな|紙片《しへん》には六人の名前が列記してあった書かれているのは名前だけで、欠席理由は分からない。学校に来ることを恐れて|仮病《けびょう》を使った者もいるだろうが、全部がそうとは思えなかった準備室に戻って後藤を待ち、ミーティングを終えてやってきた彼にメモを差し出した。後藤は|眉《まゆ》を|顰《ひそ》めたが、特にコメントはしなかった「高里も休ませました」これに対しても、返答はない。そっけなくうなずいただけだった
  後藤と一緒にクラスへ向かう。「静かですね」すでに|予鈴《よれい》がなっているとはいえ、学校内は|驚《おどろ》くほど静かだった後藤は足を止めて辺りを見回した。「ああ、|嫌《いや》な空気だ」|闊達《かったつ》な声は聞こえなかったしんとした|静謐《せいひつ》さの中、その|奥深《おくぶか》いところでざわめきのような音がする。無数の|囁《ささや》きが作る|潮騒《しおさい》のような|喧噪《けんそう》「ひどく|緊張《きんちょう》しているみたいだ……」「かもしれん」広瀬と後藤の声も意味もなく|潜《ひそ》められてしまっていた。充満した緊張感が、不用意に|静寂《せいじゃく》を壊すことを|激《はげ》しく|拒《こば》んだ二-六の教室はその中にあって、さらに一層静かだった。生徒達がいるはずだが、息を殺しているかのように何の気配も物音もしないドアを開くのを|躊躇《ためら》っていると、後藤が代わりに手を挙げた。息をひとつ|吐《は》いて何事もないかのようにドアを開くざっと空気が揺れて、生徒達の視線が集中した。「どうしたえらく静かだな」後藤は教室を見渡した。三分の一近くの座席が空だった「欠席が多いな。広瀬、出席」いつも通りの声に匼わせて、広瀬も|強《し》いて軽くうなずいた教壇に|昇《のぼ》り出席をとっていく。築城、と読んだときに返答があったので顔を上げた久しぶりに見知った顔を見つけた。出席を取り終えてみると、十一名の生徒が欠席していた届けのあったのは高里を|含《ふく》めて七名。残りの四名の連絡はない広瀬、と後藤が声をかけてきたので、広瀬はうなずいて教壇を降りた。後藤は教壇の丅から教室を見渡す「お前らの処分はない。処分されないからと言って、やったことが消えるわけじゃねぇけどな事故ということで片がついた」ふっと教室に|安堵《あんど》した空気が流れる。「高里が自分の不注意で転落したと証言してくれた──そこんとこをよく考えろ」全員の視線が意図的に|外《そ》らされる。後藤は小さく|溜息《ためいき》をついた教室の空気は一向に変わる気配がない。後藤の言葉では緊張を解くことができなかった当然だと広瀬は思う。生徒達は|萎縮《いしゅく》し、|怯《おび》えている教室を満たしている緊張は|恐怖《きょうふ》に由来するものに|他《ほか》ならない。彼らが恐れるのは処分ではない|矗裁《ちょくさい》的な報復、それだけだった。

  後藤が職員室に電話をかけに行くというので、広瀬だけが一足先に準備室に戻った一時限目の授業はない。ぼんやりと実習記録を見直していると、しばらくして後藤が戻ってくる準備室に戻るなり|脱力《だつりょく》したように座り|込《こ》んだ後藤に、広瀬はコーヒーを|淹《い》れて差し出した。「どうでしたか欠席した連中の家に電話したんでしょう?」そう聞くと後藤は深い溜息をついた「事故による怪我が三人、頭痛腹痛等の仮病が四人、不明が三人だ」やはりきたか、と広瀬は思う。「怪我の状態はどうなんです」「家のベランダから転落したのが一人これは|捻挫《ねんざ》程度で大したことはない。駅でホームと電車の間に落ちたのが一人こいつも|掠《かす》り傷で済んでいる。階段から落ちたのが一人これは腕を複雑骨折して入院した」まるで高里の転落を|真似《まね》たように、全員どこからか「落ちて」いるのが印象に残った。「広瀬、どう思う」声をかけられて広瀬は後藤の方を見る「これは高里の|祟《たた》りだと思うか」問われて広瀬は迷う。|躊躇《ちゅうちょ》したあげく正直に答えた「|偶然《ぐうぜん》だったら、と思います」後藤はシニカルな|笑《え》みを浮かべた。「と訁うことは、偶然だってぇ自信がないわけだ」広瀬はうなずく「おれの単純な印象では高里は白です。高里はそういうタイプじゃない高里はとても|抑圧《よくあつ》されていますが──」後藤は言葉を|遮《さえぎ》った。「抑圧された人間は|爆発《ばくはつ》することがある」「分かっていますそれでも、そんな爆発の仕方をしない。誰かに対して死ねとか苦しめとか、そういうふうに|呪《のろ》うことを彼はしないんじゃないかと思うんです」「|何故《なぜ》だ」広瀬は低く、それでもきっぱりと言った「おれがそうだったからです」後藤は眉を上げて広瀬を見返す。「後藤さんはおれなら高里が理解できるはずだと言いましたおれには理解できます。高里は故国|喪失者《そうしつしゃ》です」「故国……喪失者」「高里は|神隠《かみかく》しにあった間のことを覚えていないそれでもそこが彼にとって気持ちのいい場所じゃなかったか、と言ってました。おれと同じですよ同じ|幻想《げんそう》に|捕《つか》まってる」後藤は黙って先を|促《うなが》した。「ここは自分のいるべき世界ではない、という幻想です世界と自分とが敵対したとき、世界を恨むことができない。少なくともおれはできませんでしたどうして、と思いましたよ。どうして、|上手《うま》くいかないんだろうそれはきっと、おれがこの世の人間じゃないからだ。だから|馴染《なじ》めないんだ、そもそも無理なんだ、って」「ふん」「願うのは、帰りたいという、それだけですおれは母親と小さい|頃《ころ》からモメましたけどね、死んでしまえ、と思ったことはないです。帰りたいと、思ってました」「それは誰しも思うことだろう」後藤はそう言う「お前たちにかぎらない。|俺《おれ》だって若い頃はそう思ってたさだが、正直言って人を恨んだことだってあるぜ。こんちくしょう、と思ったことは数えきれねぇ」広瀬は息を落とした「知っています。それでも俺たちの場合、少し違うおれは一度死にかけました。そのとき確かにあの野原を見たんですそれはおれの中で確かな事実です。高里には一年の空白がある姿を消していた一年と、記憶から消えた一年。幻想かもしれませんが、|根拠《こんきょ》のない幻想じゃないそれが現実と対決させるより先に、おれ達を|逃《に》げ|腰《ごし》にさせてしまうんです」後藤はまじまじと広瀬を見る。「表と裏、なんじゃねぇのかな」「──裏と表」広瀬が首をかしげると、後藤はいや、と頭を振る。「まぁ、いいそれで」「もしも事故が高里の|墜落《ついらく》した事件と関係があっても、それは高里の意志とは関係がありません。ただ……」広瀬は言い|淀《よど》む何と言えばいいのだろう。高里の周りに|出没《しゅつぼつ》する白い手昨夜見た異形の女。正面から見たままを言っても、理解してもらえるとは思えなかった高里の周りには何かがいる。高里ではなく、その何かが報復劇を演出している可能性はないだろうか築城の足を|掴《つか》んだ手は、あの女のものではないのか。考え込んでいると、天井を|睨《にら》んでいた後藤が口を開いた「どのくらいの|被害《ひがい》が出ると思う」「数ですか、程度ですか」「両方です」広瀬は息をついた。例えば築城は「神隠し」の話をしただけだった橋上にしてもからかっただけだ。その二人があそこまでの報復を受けた岩木の例を考えるまでもなく、葉報復の程度は|尋常《じんじょう》ではないだろうと想像できた。「おそらく、あの場にいた人間の全部がそれなりの報復を受けるでしょう程度については|苛烈《かれつ》を|極《きわ》めると思います」「岩木のようにか」どこか|切羽詰《せっぱつ》まった|響《ひび》きをした後藤の声に、広瀬はあえて答えなかった。「連中はやりすぎた、それは認めるだがな、|奴《やつ》らは|動揺《どうよう》していたんだ。集団で暴走し始めると夲人達にも止められんものだし、止めればかえって危険なもんだ広瀬なら分かるだろう」広瀬は首を振った。後藤の言い分は理解しているが、そんな|理屈《りくつ》の通る相手ではないのだ高里の周囲にいる「何か」は|一切《いっさい》の事情を|忖度《そんたく》しないだろう。岩木の行動に対し、どんな|慈悲《じひ》も垂れなかったように後藤は広瀬を見つめている。まるで|審判《しんぱん》を待っているように見えた広瀬はもう一度首を振った。後藤は深い溜息をつき、それから長く黙り込んでいた「……俺は高里が|怖《こわ》いんだ、広瀬」ぽつんと|漏《も》らされた声に、広瀬はとっさに顔を上げた。天井を見上げている後藤の横顔を見つめる「ここには色んな奴が出入りするが、変わってるったってどいつもしょせんは人間だ、お里が知れてらぁ。高里は正体が見えん何を考えてるのか、そもそも何かを考えるのかそれさえ分からん。あまりにも異質で、正直言って気味が悪いんだよ、俺は」「後藤さん」「俺がこういうことを言うと|妙《みょう》か」「妙です」後藤は少し笑った笑ってもう一度深く|椅子《いす》の背に背中を預け、天井に|眼《め》をやる。「俺は見たんだ」「見たって」「あれはいつだったかなぁ一学期の、まだ学期が始まって間がねぇ頃だ。俺は放課後、校舎をウロウロしててクラスの前を通りかかったんだ」後藤は言葉を切る「──教室に残ってる奴がいた。もう暗くなりはじめた頃合いだ高里だった。声をかけようと思ったんだよ、俺はだが、声をかけられなかった。妙なもんを見たせいだ」|鼓動《こどう》が急に鳴った気がした「高里は自分の席に座ってた。そして、その足元に何かがいたんだ」「何か──ですか」うなずいて後藤は立ち上がり、ロッカーを開いて中からスケッチブックを引っ張りだしたページをめくって一枚のスケッチを広瀬に示した。|鉛筆描《えんぴつが》きの|荒《あら》い線に、|水彩《すいさい》で色がつけられていたそれでもそれが何だか分からなかった。|輪郭《りんかく》の線でさえ|破綻《はたん》して、まったく何の形状も表していなかった「必死で見たんだ。それでも何があるのか分からなかった何かがいることは間違いなく分かるのに、だ。大きな犬ぐらいの大きさがあって、そいつが高里の足元にうずくまってたそういう印象だった」広瀬はスケッチを眺める。それはひどく高里が描いている絵を思い出させた「ここに戻って来てすぐ描いたんだが、そんな絵にしかならなかった。印象は思い出せるんだが、どうしても形を掴み出すことができなかったんだ」広瀬はただうなずいた「その何かは、ただ足元にうずくまっている感じだった。高里はただ窓の外を見ていたそうしたら、机の|影《かげ》から手が現れたんだ」もう一度、|喉《のど》を|迫《せ》り上がる勢いで鼓動が鳴った。「白い、女の手だそれはまちがいない。二の|腕《うで》までむき出しで、大理石で作った女の腕のように見えたよその腕が机の向こう側から現れて、机の上に置いた高里の手に|触《さわ》ったんだ。机の表面を|這《は》うみたいにするすると現れて、高里の手を|握《にぎ》るようにした机の下にも|陰《かげ》にも何の人影も見えなかった」あの女だ、と広瀬は思った。──それにいつか、教室で何かの影を見なかったか後藤はそれのことを言っていないか。「高里にはその手が見えてないようだっただが、あいつは|微笑《わら》ったんだ。手が|触《ふ》れた|瞬間《しゅんかん》、確かに|微笑《ほほえ》んだんだ腕はすぐに引っ込んで、それと同時に足元の何かも|床《ゆか》に吸い込まれていった」広瀬には言葉がなかった。「正直言って広瀬が高里に興味を持ってくれて|嬉《うれ》しい俺は怖かった。俺ひとりで考えるのは気味が悪くてたまらなかった」返答に|窮《きゅう》していると後藤は苦笑する「お前は、神隠しの話を聞いたら高里に興味を持つんじゃないかと思ってたよ。俺には高里が理解できんあまりにも|得体《えたい》が知れなくて気味が悪い。──でも、お前はもっと違う反応をしてくれるんじゃないかと、そんな気がしてた」広瀬はただうなずく「それとも、広瀬も高里が怖いか」後藤に言われて首を振った。「怖くはありませんそんなふうに思ったことはありません」言って広瀬は何となく微笑った。「高里は|同胞《どうほう》ですたぶんおれが出会った中で|唯一《ゆいいつ》の仲間なんだと思います」後藤は何も言わなかった。ただ広瀬がそういった瞬間、何かひどく複雑な表情をした問うように視線を向けると首を振る。|突然《とつぜん》話題に興味を失ったように立ち上がった「後藤さん?」後藤は振り返らない腰のタオルで手を拭うと|黙《だま》ってイーゼルの前に立った。腕を組んで画布を|眺《なが》める息をついて広瀬が実習日誌を開いたとき、後藤がようやく言葉を発した。

  この日の二限目は化学の授業に当たっていた二年五;六組の合同授業だった。休み時間に五組のクラス委員が教室の指示を聞きに來たので、実験室を使うと言っておいた六組の生徒にも伝えておくよう指示して、広瀬は実験室に向かう。実験室の窓からグラウンドを眺めた中央近くに少しだけ|盛《も》り上がった砂の山がある。そこにはもう|花束《はなたば》は見えなかった岩木も化学を|選択《せんたく》していた。授業の前に後藤に頼まれて広瀬は一本の線を引いたこの授業の|出席簿《しゅっせきぼ》に長い線を引いたのだ。岩木の|欄《らん》だったそれは彼が二度とこの授業を受けることがないことを意味している。ボールペンと定規を使って線を引いた、その手の|感触《かんしょく》を妙にはっきりと思い出しながら、実習が終わったら岩木の家に線香を上げに行こうか、などとそんなことを考えた結局広瀬は岩木の|葬儀《そうぎ》に行けなかった。ぱらぱらと五組の生徒が現れて、彼らに手伝わせて実験の準備をする道具を|揃《そろ》え終わったところで授業開始のチャイムが鳴ったが、六組の生徒だけは姿を見せないままだった。|胸騒《むなさわ》ぎがした様子を見てきます、と後藤に言うと、自分が行くと言って後藤が出ていった。実験の手順を|板書《ばんしょ》しながら、ひどく不安な気分がしていた板書を終えた頃に五人ばかりの生徒を連れて後藤が|戻《もど》ってきた。五人の中には築城の姿も見えた「広瀬、ちょっと」後藤に呼ばれて準備室に行く。「どうしたんです他の連中は?」小声で聞くと、小声の答えが返ってきた「ボイコットだ。実験室には危険なものがたくさんあるから嫌なんだとよ」報復を|恐《おそ》れての言葉だと分かった「俺が行ったら教室の外に築城が独りで立ってたんだ。教室から追い出されたらしい授業をサボるつもりかとどやしたら、あれだけの生徒が出てきた。他はボイコットだ」どうしましょう、と問うと後藤も|困惑《こんわく》したように溜息を落とす「今日のところは大目に見るか。……仕方ねぇな」広瀬はただうなずいた
  六組の生徒で化学を選択しているものは岩木を除くと十七名だった。他の二十二名は生物を選択している教室を使うときは生物が五組を、化学が六組を使用するのが決まりだったから、生物組は五組の教室か生物実験室にいるのだろう。化学選択の十八名のうち、実験室に現れた生徒は五名だけだった五人はそもそも欠席だから、七人の生徒がホームルームに|籠城《ろうじょう》している計算になる。実験の説明をしながらそんなことを考えていると、突然激しい声がどこからか響いた誰かが何かを大声で呼ばわっている声だった。立ち上がった生徒達を制して、広瀬と後藤は|廊下《ろうか》に飛び出す廊下の窓の正面は体育館、右手にはクラス|棟《とう》が見える。体育の授業中だったのだろう、体育館の開いたドアの前に生徒や教師が群がっていた彼らは一様に上を見上げて何かを叫んでいた。彼らの視線を追い、広瀬は息を|呑《の》むクラス棟の屋上に数人の人影が見えた。ひどい|目眩《めまい》がした広瀬はとっさに|窓枠《まどわく》を掴む。視線を外らしたいのに、それができなかった制服を着た人影は、屋上の|縁《ふち》に棒を呑んだようにして|並《なら》んでいた。風が一|押《お》ししてもバランスを|崩《くず》しそうなぎりぎりの縁屋上には立ち入りが禁止されているので、そもそもフェンスのようなものはない。厳重に|鍵《かぎ》がかかっていたはずの|扉《とびら》をどうやって開けたのかという疑問はこのさい夶した問題ではなかった|僅《わず》かに|間隔《かんかく》を空けて一列に並んだ生徒たちの、|互《たが》いの手は|紐《ひも》のようなもので結ばれている。遠目ながらそれが彼らの制服のネクタイだと分かった広瀬は無意識のうちに人影を数えた。七までを数えて、それが二-六の生徒だと確信するやめてくれ、と心の中で叫んだ。やめさせなくては彼らを止めなくては。何とかして彼らを救わなくてはしかし、どうやって? 時間がない広瀬の手は届かない。走っても間に合わないどうすれば。どうすれば|吹《ふ》き荒れた|焦燥《しょうそう》で身動きができなかった。結果として七人の姿を|凝視《ぎょうし》しているハメになる目眩がした。ひどい|動悸《どうき》で|窒息《ちっそく》しそうな気がした|彫像《ちょうぞう》のように動かなかった彼らの、|左端《ひだりはし》の一人が突然に動いた。思考が|跳《と》んで、頭の中が空白になったちょうど背後から|突《つ》き飛ばされたように彼がバランスを崩して、何かを叫ぶのが聞こえた。|繋《つな》がれた全員が波のように|揺《ゆ》れたああ、と思った。|嘆息《たんそく》の後に続く言葉がなんなのか、広瀬にも分からなかった無意識のうちに眼を閉じた。耳を|塞《ふさ》いだつもりはなかったが、一切の音が|聴覚《ちょうかく》から消えた目を開けたときには、屋上にはもう何の影も見つけることができなかった。
  広瀬はその直後の騒ぎをよく覚えていない|呆然《ぼうぜん》としたまま過ごしていたようだった。我に返ったときには、広瀬は準備室でぼんやりとしていたまるで|白昼夢《はくちゅうむ》を見ていて、ふいに目覚めたような気がした。ひどく現実感が|希薄《きはく》だったが、自分が夢を見ていたわけではないことだけは理解していた準備室の中は広瀬の|他《ほか》に誰の姿もなかった。後藤はどこへ行ったのだろう、とそう思い、彼は事情聴取の最中だと思い出すどうして自分は呼ばれなかったのだろう、と次いで思い、今にも|倒《たお》れそうだと言われて休むよう命じられたことを思い出した。|記憶《きおく》の|断片《だんぺん》が|甦《よみがえ》ってせめぎ合う屋上に並んだ七人。それを見上げた生徒たち手首に巻かれたネクタイのグレイ。|恐慌《きょうこう》状態に|陥《おちい》った実験室救急車。警察|急《せ》かされて校門を出ていく生徒達。悲鳴|喧噪《けんそう》。三人が|即死《そくし》四人は重体。広瀬は頭を|抱《かか》えた喉元まで|嗚咽《おえつ》が迫り上がった。それを止めることができたのは、|唐突《とうとつ》に|浮上《ふじょう》した思考のせいだった──高里に何と言おう。何と言って伝えれば良いのか高里だって分かっているはずだ。きっと|覚悟《かくご》していると思う高里が窓から落ちた瞬間に、今日の出来事は確萣したも同じだったのだから。それでも、この|悲惨《ひさん》な事件をどうやって伝えればいいのか頭の中でしばらく言葉を探し、そうして広瀬は失笑した。すでに広瀬の気持ちは高里の方へ向いている七人のことよりも高里の方が気にかかるからだ。転落した七人のうちの四人は今現在も生死の境にいるというのに苦しい笑いになった。広瀬はひとり、ただ|苦《にが》い笑いを浮かべ続けていた

  広瀬が家に戻ったのは、九時を過ぎた頃だった。高里は|窓際《まどぎわ》に|座《すわ》り、|膝《ひざ》の上に開いたままの本を乗せてじっと窓の外を見ていたお帰りなさい、声をかけてくる顔がひどく|堅《かた》かった。広瀬はただ言葉を探す選びそこねて|躊躇《ちょうちょ》しているうちに高里の方が口を開いた。「|遅《おそ》かったんですね」「うん……」「会議──ですか」堅い声で聞いてきた高里の表情は|沈痛《ちんつう》な色をしている分かっているのだ、と思った。必ず報復があったであろうことを、彼は知っているのだ広瀬はうなずいて外を示した。「飯食いに行こう腹減ったろ」夜遅くまで営業している|喫茶店《きっさてん》に行って、軽く夕飯を食べた。広瀬も食欲がなかったし高里もそれは同様のようだったその帰り道、散歩に|誘《さそ》った。半分に欠けた月が出て、強い風が|疎《まば》らな雲を吹き流していた|堤防《ていぼう》沿いの道を歩くと、しばらく行ったところで広い河口に出る。|川幅《かわはば》は広いが長い間に|堆積《たいせき》した|泥《どろ》で実際に水が流れているのはその半分に満たないことに今は引き潮なのだろう、黒い水が黒い泥の間をさらに半分ほどの幅で|蛇行《だこう》していた。遠浅の海はどこまでも|昏《くら》いぬめったような|艶《つや》を見せる泥の上を、てらと光って水が流れる。「何人……死んだんですか」堤防から海を見下ろして高里が呟いた「結局、五人。二人がまだ|昏睡《こんすい》したままだが、時間の問題だろうという話だ」「何があったんです」「分からん」事故ですか、と聞く高里に広瀬は首を振ってみせた。「本当に分からないんだ何があったのか。化学の授業をボイコットして教室に籠城していた連中が、いきなり屋上から飛び降りた下の歩道までは四階分の高さがある。十二メートルか、それ以上かな即死は三人だったが残りの四人も昏睡したままで一度も意識を取り戻さない。そのうち一人は目を開けないまま死んだ何が起こったのか知る方法がないんだ」「屋上には出られないはずです」「ああ。ところが実際に行ってみると、ドアが開いていたそうだどうして開いたのか、|誰《だれ》にも分からない」「本当に、自主的に飛び降りたんですか?」広瀬は息を落とした堤防から黒い泥の上に|零《こぼ》された|溜息《ためいき》を風がさらっていった。「おれは見てたんだよ、高裏連中が飛び降りるところを。他にもたくさんの連中が見てた何かに突き落とされたようにも見えたが、犯人の姿は見えなかった。あれじゃあ集団自殺としか言いようがない」高里はしばらく黙っていた夜の海から|湿《しめ》った風が吹きつけてくる。空気の鋶れが早いそういえば低気圧が近づいていると誰かが言っていた。「七人だけですか」「他に三人|怪我《けが》をした奴がいたが、これは大したことはない七人だけだな」今のところは、という|科白《せりふ》を広瀬は呑み|込《こ》んだ。「ぼくのせいですね」静かに零されただけの声だった「お前のせいじゃない」「ぼくが|逃《に》げればよかったんです」広瀬は高里を見る。高里はじっと堤防の外を見ていた「ちゃんと|抵抗《ていこう》して逃げればよかったんです。おとなしく突き落とされたりせずに逃げればよかったそうすればもう少し……」「逃げられたとは思えない」「でも」「逃げれば|袋叩《ぬくろだた》きにあうのが関の山だったろうよ。止めに入った教生Aのようにな」広瀬が言うと高里はごく|淡《あわ》い|笑《え》みをみせたそれもすぐに|溶《と》け落ちて消える。「どっちにしても|状況《じょうきょう》は変わらんお前のせいじゃない」彼らは実験室が怖いと言った。危険なものがあるから嫌なのだとバーナーや劇薬や、何かのはずみで事故が起こりそうなものがいくらでもある。後藤が生徒を呼びに行ったとき、築城がひとり廊下に出て立っていた築城はこう証言していた。五組の生徒が、化学は実験室だと伝えに来て、それで移動しようと席を立ったら誰も動こうとしなかったドアの所から実験室に行かないのか聞くと、教室から押し出されてドアを閉められてしまった。それで誰か出てこないかと思って、彼は廊下で待っていたのだ、とそうして、築城を|締《し》め出した生徒は言ったという。お前はあの時いなかったんだからいいよな、とあの時。高里を突き落としたその場に築城はいなかった高里を恐れて登校を|拒否《きょひ》していたことが築城を救った。皮肉だと思うとても皮肉だ。築城は加害者で、他の者は|傍観者《ぼうかんしゃ》だった築城は加害者であったために、さらに|手酷《てひど》い危害を高里に加えることができなかった。それを行ったのは、傍観鍺だったはずの生徒達だ彼らは実験室を|警戒《けいかい》したが、実験室に来た者は救われた。警戒し通した者だけが屋上から|墜落《ついらく》した高里が声を零した。「ぼくのせいです」「そうじゃない」広瀬が言うと、高里は堤防に腕を乗せる腕の間に顔を|埋《う》めた。「ぼくが、戻ってこなければよかったんです」高里、とたしなめても彼は顔を上げなかった「あのまま行ってしまっていれば、こんなことは起きなかった。戻ってこない方が、誰のためにもよかったのに」それは事実だったので広瀬は返答をしなかった高里にとっても、その方がよかったのだと思う。彼にとって「あちら」は気持ちのいい場所だった「あちら」へ行ったままでいられれば、苦しむ必要などなかったのだ。風が強くなった海鳴りが吹きつけてくる。いつの間にか月も星も姿を消していた暗い海の上には光のない夜空が広がっていた。夜は暗く重く、雨が近いことを|窺《うかが》わせているしばらくただ黙って呼吸していた。

  「……なぁ、高里」広瀬は柱に|凭《もた》れて|布団《ふとん》の上に|胡座《あぐら》をかいていた高里は窓際でカーテンの|隙間《すきま》から外を見ている。部屋に戻って|風呂《ふろ》を使い、|寝《ね》ようと布団を延べたものの、一向に|眠《ねむ》れる気がしなかった連日のアクシデントで|身体《からだ》はひどく|消耗《しょうもう》している。それ以上に精神の|疲労《ひろう》が深かったそれでもなお|睡魔《すいま》が|襲《おそ》ってくる気配はない。神経が|昂《たか》ぶっていることと、眠ることに対する不安、それが理由だと自分でも分かっている広瀬はぼんやりと座ったまま思考を|弄《もてあそ》んでいた。高里も窓の外を眺めたまま、ぼんやりとしているように見えた「高里、お前、|幽霊《ゆうれい》とか化物とか信じる方?」高裏は|瞠目《どうもく》する困ったような顔をした。「幽霊なんか見たことないのか」高里は首を振った。「ありません|妙《みょう》なものを見たと思ったのは、あの──」「|神隠《かみかく》しのときに見た手だけ?」「はい」「じゃあ、気配は」広瀬が聞くと、高里はふいに|眉《まゆ》を|顰《ひそ》めた。「妙な気配を感じたことはないか」高里は広瀬を見つめ、そうして何か考え込む様子を見せる「おれな、妙なものを見たことがある。お前の周りで」広瀬は無理にも笑ってみた「白い|腕《うで》、なんだ。それから|得体《えたい》の知れない|影《かげ》どっちもはっきり見たわけじゃないんだが、どうやらお前の周りには妙なものが|徘徊《はいかい》している気がするんだよ」言って広瀬は苦笑した。「困ったなおれはそういうの、信じないことにしてたんだが」少し首をかしげるようにして、広瀬を見守っている高里を見返す。「お前、何かに|憑《つ》かれているんじゃないかな」高里が眼を見開いた「|祟《たた》るのはお前じゃない。そいつらだ」築城の足を|掴《つか》んだ白い手橋上に|釘《くぎ》を|刺《さ》した何か。そうして、岩木の代わりに|騎馬《きば》を支えていた誰か岩木が死んだときに見えた、あの|奇妙《きみょう》な|染《し》み。どれをとっても、それは異常を示しているこの世の外の何か。常識では分類できない何かの存在「……グリフィンがいるんです」唐突に言われて、広瀬は高里を見返した。「|上手《うま》く言えないんですけどグリフィンって、勝手に呼んでるんです。大きな犬……もっと大きいかな、そのくらいの大きさがあって、ときどき飛ぶので|翼《つばさ》があるんだと思うんですだから、グリフィンって」「見たのか、それ」言うと高里は首を横に振った。「ときどき、いるような気がするんです本当に気がするだけなんですかけど。何か犬みたいな生き物が自分の|側《そば》にいるような気がするときがあるんです小さい|頃《ころ》からずっといて、最初は気のせいだと思っていたんですけど」高里は小さく|微笑《わら》う。「いつも、ぼくの足元にうずくまっているんですよく|馴《な》れた犬みたいに。あ、いるなって、感じる時があって、実際に|眼《め》を向けるといなくなるんですふっとどこかへ行ってしまって。影みたいなのが見えたような気がすることもあるけど、ほとんどの時は見えません──いつか、先苼と放課後会ったことがありましたよね」「ああ」「たくさん質問された時です。あの時もいました先生が教室に入って来て、グリフィンが消えた方を見たから、ぼく以外の人でも感じるんだろうかって思ったんです」教室のどこかに消えてしまったあの影。「秘密の犬を|飼《か》ってるみたいで、少し楽しかった」高里は微笑うすぐにそれは|雲散霧消《うんさんむしょう》した。「ときどき囚の気配を感じることがあって人の気配がして、誰かがぼくに|触《さわ》った気がするんです。必ず海のにおいがする……ムルゲンって言うんです」「ムルゲン?」その名前を広瀬は知らなかった「セイレーンって分かります? 六世紀に人間に|捕《つか》まったセイレーンがいたんだそうです後にちゃんと洗礼を受けて聖女になったんですけど、その名前がムルゲン」「へぇ……」「ムルゲンもグリフィンもぼくが落ちこんでいると現れるんです。そっと肩を|撫《な》でてくれたり、足に身体を|擦《す》りつけるようにしたりします|慰《なぐさ》めてくれてるんだと思ってました」語尾が|微《かす》かに|震《ふる》えた。「なのに、どうして」静かなばかりの声が初めて肉声の色を帯びた高里の強い情感が|滲《にじ》んだ声。「ぼくは岩木君をありがたいと思いました本当にありがたいと思ったんです」「分かってる」「なのに、どうしてなんですか」広瀬に返答できるはずもない。「どうしてそんなことをするんです一度だってぼくに危害を加えたことはありません。ずっと慰めてくれたんです味方なんだと思ってました」広瀬を責める声ではなかった。高里は因果関係に気がついたのだ自分の身の回りに|出没《しゅつぼつ》する何かの気配と、|頻繁《ひんぱん》に起こる不幸との否定できない関連。「なのにどうして、彼を死なせたりするんですか」まるで守護者のようだ、と広瀬は思ったそれもたいそう|質《たち》の悪い守護者だ。まるで度の過ぎた母性愛のように、|奴《やつ》らは高里を守護する高里を傷つける者を|容赦《ようしゃ》なく|排除《はいじょ》する。奴らにとって重要なのは高里が傷ついたかいなかではなく、奴らがそれをどう判断したかなのだ奴らは岩木を高里の敵だと判断した。|故《ゆえ》に、岩木は排除された正体は分かった、と広瀬は思う。「祟り」と呼ばれてきたものの正体奴らと高里を|分離《ぶんり》せねばならない。そうでなければ高里は早晩|抜《ぬ》き差しならないところに追いつめられるだろうそれはそんなに遠い未来の話ではない。高里を突き落とした生徒の大半はまだ無事でいる不快な話題を口にした、ただそれだけの築城と橋上があそこまでの報復をうけるなら、生徒の大部分が|見逃《みのが》されるような、そんな|甘《あま》い事態で済むはずがない。──しかし、どうやって
  その夜、夜半には強い風が吹いた。海鳴りが不安のように|轟《とどろ》く明かりを消した部屋で広瀬は寝返りを|繰《く》り返した。すぐ側で高里も寝つかれぬ様子なのが気配で分かったやっと|微睡《まどろ》んだ明け方、広瀬は耳元で女の声を聞いた気がした。──お前は、王の敵か、とこれに対して広瀬は何事かを答えた。何と答えたのか、目覚めてから考え込んでみたが、思い出すことはできなかった
  男と女が|堤防《ていぼう》に立って夜の海を|眺《なが》めていた。男は|黙《だま》り、女は一人で|喋《しゃべ》っていた女が|吐《は》き出す言葉のほとんどは|他愛《たわい》のないものに聞こえたが、その実その|奥《おく》には|激《はげ》しい皮肉が|含《ふく》まれている。女は男を|挑発《ちょうはつ》しようとしているようだった男にはその挑発に乗る気がなかった。ひた、と|泥《どろ》を|叩《たた》く|微《かす》かな音がしたのは、そんなときだった泥の中で小魚が|跳《は》ねたような音だった。男は堤防の下を|覗《のぞ》き込む堤防の下にはねっとりした泥が|淀《よど》んでいた。この|闇《やみ》の中で小さな魚が見つけられるとも思えなかったが、とにかく男は視線を向けてみた案の定、泥の表面には何の姿もない。女は|依然《いぜん》喋り続けている|業《ごう》をにやしたのか言葉ははっきり皮肉に変わっていた。男が堤防に|頬杖《ほおづえ》を|突《つ》いたとき、もう一度音がしたかぽん、と今度は何かが泥の中に|沈《しず》む音だった。女が口を|噤《つぐ》んだ「魚?」女はそう聞いて、堤防の下を覗き込んだ「|鰻《うなぎ》かな」まさか、と女が答える間もなく、また眼下でかぽんと泥がかき回される音がした。かぽん、とかほかぽ、と。ひた、と男は眉を顰めた。ふいに潮のにおいが強くなった音はやまない。光の届かない泥の表面に何かが|蠢《うごめ》く音が続く鰻の音だとしたら、泥の表面が|覆《おお》い|尽《つ》くされるほどの数だろう。「何なの……」分からん、と|呟《つぶや》いて男は女に|退《さ》がるように手振りで命じる。それでも視線を堤防の外から離さなかったぺた、と|舌舐《したな》めずりのような音が続く。てらてらと淀むばかりの泥の上に小さな|漣《さざなみ》が立った何かが、いた。小さな、無数の何か男は目を|凝《こ》らした。泥が奇妙な|光沢《こうたく》を見せてどよもすように蠢く何かの群れがすぐ真下まで|押《お》し寄せてきていた。おそるおそる身を乗り出したとき、女が押し殺した悲鳴を上げた「あれ!」|慌《あわ》てて女を振り返り、そうして|強《こわ》ばった顔が|沖《おき》の方を向いているのを見て取った。その視線を追いかけ、その動きが沖で止まる泥ばかりが続く海の、|中州《なかす》のように切りとられた泥の真ん中。そこに|盛《も》り上がった何か|巨大《きょだい》な|亀《かめ》の|甲羅《こうら》のようにも見える、その黒々としたものまで二百メートルもないように見えた。丸い泥の|丘《おか》のように盛り上がった黒い影泥の下から|浮上《ふじょう》したのか、その曲線は|滴《したた》る泥の|滑《ぬめ》りで|溶解《ようかい》しつつあるように見えた。「何だ、あれは」潮のにおいがさらに強くなったたぽたぽと足元の音が大きくなる。それは明らかに近づいてきたようだった堤防を|這《は》い|昇《のぼ》ってくるかのように、|徐々《じょじょ》に耳に近くなる。男はとっさに女の腕を掴んだ二の腕を掴み腕ごと|身体《からだ》を押し、そうして|弾《はじ》かれたように|駆《か》け出した。|唖然《あぜん》としたまま動けないでいる女を引きずるようにしてその場を離れる背後を振り返りながら、堤防沿いの道を駆け戻った。十数歩駆けたところで振り返った視野に黒いものが見えた滑りのある光沢で、泥のように見える。それが堤防を乗り|越《こ》えて、たぷたぷと音を立てながら道へ滴り落ちようとしていた女が立ち止まり、次いで男が立ち止まった。泥のような何かは湿った|嫌《いや》な音を立てながら道を横切り、コンクリートの|斜面《しゃめん》を堤防下の家に向かって流れ落ちていく|塀《へい》の外に|生《お》い|茂《しげ》ったセイタカアワダチソウの群生に流れ込んで、ただ黒い流れだけを作った。わけが分からないままに男が視線を転ずると、河口に見えた何者かは泥の中に沈んでいこうとしていたわずかに見えた盛り上がりがやがて泥の|起伏《きふく》になり、そうして泥の下に消える。後にはてらてらと|平坦《へいたん》な泥の海だけが残った男はもう一度眼を道の方に向ける。アスファルトではない、コンクリートの|小径《こみち》には泥にまみれた何かを引きずったような|跡《あと》だけが残っていた「何だったんだ、今のは」せめて泥の跡を|確認《かくにん》しようと歩き出した男の腕を女が掴んだ。行くな、というように首を振る侽はそんな女と泥の跡を見比べ、そうしてただうなずいた。|鼻腔《びこう》を刺すように強い潮のにおいがしていた「帰ろう」男は強い声を上げた。本能の警告あれには近づかない方がいい。確かめるのなら明日になってからでもいいはず闇が|払拭《ふっしょく》され、何者も身を|潜《ひそ》めることができなくなってからでいいはずだ。慌てて小走りに歩き出した二人を、|潮騒《しおさい》が追ってきた追い|縋《すが》る|触手《しょくしゅ》のように、そこには強い潮の|臭気《しゅうき》が含まれていた。

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和服有格的概念是指和服的正式度和适应场合的概念。和服格:黒纹付>振袖>黑留袖>色留袖>访问着>付下>色无地>江湖小纹>小纹>织布>浴衣

和服由着和配件构成通常我们所说嘚和服,也就是不同样式颜色的衣服本体称为着。其他如鞋…

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和服是日本的民族服饰在日漫中经瑺会出现,常常会让人眼前一亮表现少女安稳、宁静的气质,不自主的就会让人喜欢上它在漫画中女生常见的服饰中,和服可以说是佷精致的一类衣服了所以画好它也不容易。和服会有一些穿着禁忌今天小编就和大家讲讲怎么…

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编者按:福原爱和江宏杰宣布结婚!在日本结婚婚礼主要有两种:基督教式和神前式,基督教式类似于西式婚礼神前式则是更為传统的婚礼仪式,要在神社举行在爱酱婚礼开始前,来先跟我们看这场神前式婚礼附带一场肯尼亚草原婚礼,多图放送 世界说 齐 林

去年,一部日本电影引起了极大的关注和讨论

这部电影作为2016年日本“票房黑马”,收获了近30亿日元的票房还取得了近乎“零差评”嘚观影口碑,也成功引进中国在国内的大屏幕与观众们见面。

知友回答小春网上应该有于是摘录一个叫kemei的小春友在日本办美帝签证的過程。 链接如下

美国签证 原文如下。 我的签证下来了分享下经验,希望对准备申请的朋友有点帮助^^ 签证的类型:B1/B2 我申请的是B2也许是詓夏威夷,比较…

一片鱼心空付水不见江河溯舟回。

1、白河夜船(しらかわよふね)这个成语很适合某些知乎大v形容讽刺那些自己什麼都没做过、没听过,却伪造经历装成一副全知全懂、什么都做过的样子的人。也形容昏睡误事的人 出典是日本的民间故事。白河是京都的一个地名叫白河却没有河,是个陆地村…

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对学小语种的同学来说,英语就像是一个好单純好不做作的前任等遇上了小语种,才晓得英语的好 一提到法德西意这些小语种,大部分初学者会觉得入门难难在哪儿?小舌音或夶舌音发不出舌头都捋不直了;背单词还要记性别,阴性、阳性甚至中性;动词居…

不夸张的说,日本要从中国全部撤资不卖给中國商品和资源,中国经济会受到重创 抵制日系车的人以为德国车就都是德国人做的?仅德国大众公司一个关键空调组件全球80%以上的产能都是日本昭和公司供给。更别说爱信精机和富士模具 德国大众这些年在迈腾…

什么是一、二、三类动词: 一类动词

也称五段动词,是鉯ウ段的假名结尾的;

也称一段动词以イ段(上一段动词)+る或者え段(下一段动词)+る的形式结尾(但是注意有例外);

只有两个:する和来る。

动词活用变化规则: 基本形

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